社会を動かすものが何なのか、その定義によって社会の見え方は変わってくると思う。
ある人は経済だと言うだろうし、ある人は情報だと言うだろう。また別の人は軍事力と言うかもしれない。どれもある程度正しいだろうし、どれか一つだけが正しいわけでもないだろう。
私が興味を持つ分野に、歴史学と経済学があるが、どちらもある意味社会を動かすものが何かについての探究であるように思う。時間の流れを輪切りにして、その時代時代の瞬間を切り取って理論を作っていくのが経済学だとしたら、世の中の流れを「語り」上げるのが歴史学なのかも知れない。
自分が大仰なタイトルで記事を書き始めてみた理由は、どうも今の社会を動かすものをどう描写していいのか悩むことが増えたからだと思う。資本なのか?国家なのか?テクノロジーなのか?
ユヴァル・ノア・ハラリは今後の世界を動かすものは情報技術と生命技術だと分かりやすく整理している。特に生命技術の話や、今後のスーパー人類の話などはとても興味深い。
が、何となく、自分には語り切れない分野であるという気がしている。
自分は、やはり、いわゆる人文系で(まあそれを言ったらハラリもそうだが)、歴史の流れの中で社会構造が変わっていく様を「語り」によって捉えてみたいという歴史学徒(またしてもハラリ先生こそ大先輩だが)の端くれなのだと思う。
「語り」たいことは他にもあって、要するに
・人間社会のリソース(資源)の相当部分を、「国家」という組織に集中させて、経済その他の社会活動を回していく
というスタイルが、いつまで有効なのだろうかということである。それは、「正統性」(正当性とは限らない)をめぐる政治経済学となるはずである。「記録」の正統性が暴力に依存しなくなった世界では、暴力を独占する存在としての国家は、解体されずに済むだろうか?
ちなみに、「記録」の正統性を国家から奪うはずの技術が、ブロックチェーンと呼ばれる技術である。
ゆっくり考えていきたい。時間はだいぶかかるはずだからだ。ただし、国家が無くなった世界では、「国家があった頃」の様子を想像することは相当難しくなっているはずだろうけれど。