記録論:ブロックチェーンと国家の「失業」について

新しい社会現象を的確に概念化した昔の知識人は偉かったと、つくづく思う。

ホッブズは『リバイアサン』の中で近代「国家」というものが如何に暴力をうまくコントロールするのに特化したかを描いたし、マルクスは『資本論』の中でお金がお金を生む生命体のような何かを「資本」と名付けた。

何も自分が偉い知識人になりたいと思ってるわけじゃなくて、単純に自分の生まれた時代にもどうやら似たような大変動が起こりつつあると気が付いて、それを描写するためには上述のような大碩学並みの力量が必要そうだ、と思いながら軽くため息をついているだけです。

その大変動とは何かというと、人によってはAIだという人もいるが、僕はブロックチェーンだと思う。ブロックチェーンをどう描写するか、それは本当に色々なやり方があると思うが、歴史学・社会学に関心のある自分から見ると、「中心の存在しない記録の連続体」とでも言えそうである。

詳しい技術のことは色々な本に書いてある。日本語にも結構いい本があるし、英語はもっと量がある。曰く、暗号学を駆使した脱中心的なネットワーク。曰く、金融の根幹を変えてしまう大発明。曰く、インターネット以来のdisruption。

どれも正しいとは思うのだが、技術だけでなく政治経済に絡めてブロックチェーンを語る書物も、何となく金融とか経済に焦点を当てることが多いように思う。それにはちゃんとした理由があって、そもそもサトシナカモトがビットコインの概念を提唱したときに、どうやら2008年前後の金融危機を受けた既存金融へのアンチテーゼとして提唱したらしいことは多くの人が指摘するところである。

ただ、僕が見るところ、ブロックチェーンが変えてしまう(可能性のある)事象というのは、金融というよりも国家の方なのだと思う。社会の血流が金融だとすれば、骨格にあたるのは国家なのである。金融機関の信頼というのも、21世紀の社会構造的には、国家の暴力を後ろ盾にしている部分が大きい。

ブロックチェーンは、誰にも異議の唱えようがないほどの正統性をもった記録を実現できる。その根幹となるのは数学理論だが、詳しく入っていく必要は無いと思う。

要は、

・衆人環視の下で、

・1+1=2のような自明の計算を基に、

・記録の承認が続けられるシステム

がブロックチェーンなので、もはや国家権力が警察力や軍事力という剥き出しの暴力を背景に官僚に記録をさせなくても、信頼するに足る記録体系がこの世に生まれてしまったということが大事なのである。

記録は、もう国家がやらなくてもよい。

そうなると、経済はだんだん国家に依存しなくなっていく。記録という大きな仕事を喪った(いわば「失業」した)国家は、次は何に存在意義を求めるだろうか?

ホッブズは『リバイアサン』の中で、人間が人間を相手に戦い続ける状態を克服するための一つの概念として、社会契約の重要性に触れているわけだが、社会契約の担保として、リバイアサン(怪物)のような強大な権力を持った主体、すなわち国家が生まれうるとしている。

これはのちの政治哲学に大きな影響を与えていて、例えば国際関係論のような学問では、国際社会にはリバイアサンのような強大な統治者がいないために、基本的には合従連衡を繰り返すジャングルの掟の世界であるとする。要するに、人間社会のあらゆる約束を守らせるための最終的な担保は暴力以外には存在しない、という世界観である。こうした考え方はリアリズム(現実主義)とも呼ばれる。

リアリズムを一つの思想的背景として持つのが保守主義だが、保守主義というのは人間の本質というのは基本的にはずっと変わらないという立場でもある。そうすると、たとえブロックチェーンが「国家よりうまく」記録の管理をできる時代になっても、人間は「約束を守らせる力」としての国家の暴力を求め続けるであろう、という意見も出てくる。

これはこれで有力な議論だと思うし、僕も敢えて否定はしないが、一つだけ付け加えるとしたら、記録という仕事において、国家以上に国家の仕事をうまくできてしまうライバルが現れたら、国家には今まで以上の何かの付加価値を出していかないと、存在がアピールできなくなるということだ。つまり、無くてもいいのに維持するためのコストというのが、ちょっと信じられないくらい大きくなるのではないか、ということである。

議論に補助線を引くために、与那覇潤の『中国化する世界』(文藝春秋社、2011年)に紹介されていた話を紹介して、この記事を終わりにする。

東アジア(中国と韓国)では、宋や朝鮮の時代に身分制度が廃止されて、皇帝以外すべて平民という平等社会が現れた。一方で日本は江戸時代に突入し、逆に身分制度を固定する方向に走った。しかしながら、世界も経済も繋がっているので、「身分社会が要らない世界」で「身分制度を維持するコスト」というのが、陰に陽に江戸システムを圧迫し続け、最終的にはそれは西日本(人口圧力が強く、大都市が少ない)の下級武士の不満の爆発という形で崩壊した。

「要らないもの」を維持するためのコストというのは、必ず高くつく。ブロックチェーンが、ある意味国家を「要らなくする」と、国家の維持のために何らかのコストを払わざるを得ない時代になるのかも知れない。そのコストというのは、今まで以上の資本主義的な何かかもしれないし、戦争のような国家が最後まで手放さない特技なのかも知れない。

Published by Atsushi

I am a Japanese blogger in Korea. I write about my life with my Korean wife and random thoughts on business, motivation, entertainment, and so on.

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