
ブログのテーマを新しく変えてみた。
今までは「妻を追って韓国移住」だったが、これからは「韓国に学べ!」として運営してみたいと思う。
テーマを変えた理由についてだが、もともとこのブログは、男性が結婚移民者として韓国に暮らす上でのあれこれを書くことで、自分と同じような人の役にいつか立てばいいと思って始めたのである。その意図にはいまだに変わりはない。
一方で、そろそろ3年半韓国で暮らしながら、自分なりに考えてきたこともある程度まとめていきたいという気持ちが強くなっている。
私どもは、韓国に暮らす日韓夫婦である以上、日韓関係のような政治的動乱には無関心でいられない。他方で、日韓関係というのは才能の墓場であり、これまでに数々の優秀な、日韓フルバイリンガルの諸先輩方が誠心誠意努力しても、結局善意が浪費されるのを見てきた。何というか、考え方を根本的に変えなければならないのだと思う。その最も大事なポイントは、受け手の問題だと思う。
私は日本人であり、日本語母語話者でもあるので、自然と論考は日本語が中心になる。したがって日本語話者の大部分を占める日本人の思考方法について思いをめぐらせざるを得ない。日本人は、序列を好む。あまり褒められた話ではないが、特に最近はそれが顕著である。分かりやすく言えば、「相手が自分より格上かどうか」で対人関係をカスタマイズしている。国際関係においても、(実態がどうであれ)韓国を格下と見なすことで、外交や世論の前提としているように見える。
しかしながら、倫理的判断を別にしても、韓国を格下と見るのは日本のためにならない。気づく、気づかないに関係なしに、すでに民主主義・科学技術・芸術、多くの部分で日本は韓国に「負けて」いる。日本が韓国に負けたのが何が悪い、そもそも国対国で勝ち負けなど気にしていることのほうが前時代的だ、という反論もあり得よう。それはそれで構わない。
だが、日本が韓国に負けている分野というのは、同時に世界のほとんどの先進国に負けている分野でもある。権力者の恫喝で、デモや政府批判が出来ない民主主義は、民主主義と言えるだろうか?コロナ給付金の集計を役所がFAXで行い、人的ミスが多発するのが2020年の光景なのだろうか?英語さえできていればビルボード進出も夢じゃなかった、と若い歌手が発言するのが、果たして芸術を志す人たちの世界の健全な姿なのだろうか?
もちろん、知性を蔑ろにしたばかりに、日本がコロナを完全に見くびり、医療崩壊を起こしつつあることで、このままじゃいけないと気づきだした人も多くいることは分かっている。しかしながら、そうした状況をもって、「コロナ対策で、日本は韓国に“さえ”負けている」といった言説を見聞するたびに、まだまだ先は長いと思わざるを得ないのである。
日本は韓国に「さえ」負けたのではない。日本は韓国に「だから」負けたのである。韓国がすごいから負けたのだ。その冷徹な事実を正面から直視しない限り、日本が極東の最貧国に逆戻りするまでの時間はどんどん短くなっていく。
日本より韓国のほうが格上なのである。韓国に学ばない限り、日本に未来は無い。
そうした意味を込めて、韓国に学ぶべきところを、社会・産業・芸術など、様々な面から観察し、このブログに記していきたいと思っている。