太田 啓子『これからの男の子たちへ: 「男らしさ」から自由になるためのレッスン Kindle Edition』大槻書店、2020年を読了した。
その中で一番印象的だったのが、ある教授の言ったとされる言葉である。
講義 名 に「 女性 差別 について」 と 掲げ た とき より「 男性 特権 について」 と 掲げ た とき の ほう が、 男子 学生 の 食い つき が よかっ た そう です。 女性 差別 は 自分 たち に 関係 の ない 話 だ と 思う けれど、「 男性 特権」 だ と 自分 たち に どんな 特権 が ある のかと 興味 を もつ という こと です ね。
私は男性であるので、何となく納得がいく。女性差別の問題であったり、フェミニズム問題について、自分で語るのは難しい。分かったつもりになっても、例え善意であっても、相当難しいと感じている。
しかし男性特権についてならもしかして書けるかもしれないと思う。それはそれで難しいが、少なくとも自分を主人公としてジェンダーの問題について迫る試みにはなると思う。
男性が男性特権について書くことは、おそらく「自分が普段何気なく行っていることは、他の誰かにとっては出来ないことであり、自分が何気なく行えるのは他の誰かが犠牲になっているからだ」ということの発見のプロセスになるのだと想像する。
僕は朝起きて服を着て電車に乗って会社に行く。男の僕は普通に電車に乗るが、女性にとっては痴漢や暴力の危険を常に意識している結構命がけな行為かも知れない。
会社では、まあ僕の会社はかなり特殊だが、僕を始め男性は出産を自分でしないので、そこでキャリアが止まることは想定せずお仕事に励める。だが女性は出産をするポテンシャルがあるので、給与体系が低く(もしくは辞める前提で)設定されているかも知れない。
たぶん、考え始めると無限に出てくる。ある人が、「フェミニズムとは差別を発見する学問である」と言っていた。それを真似するならば、男性が男性特権について考えることは、「自分が差別されていなかったことを発見する行為」になるのかも知れない。
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