多民族国家・中国の直近の基層と言える清朝だが、その多民族性の萌芽は既に入関前から見られるという指摘がとても勉強になりました。
ここ に 成立 し た 大 清 国 の 支配 構造 は、 満 旗( 満・蒙・漢)・漢( 長城 以北 の 農耕 地域)・藩( 内 モンゴル 地域) から 成っ て い た。 長城 以北 の 漢族 農耕 地域 を 直接 統治 下 に、 外藩 の 内 モンゴル 地域 を 間接 統治 下 に 置く この 構造 は、 東北 部 における 満・蒙・漢族 の 統合 を 象徴 する と 同時に、 入 関 後 の 清朝 最大 版図 時 における 支配 構造 の 雛形 を なす もの で ある。 この 時代 の 政治 上 の 動向 は、 入 関 を 経 て 乾 隆 二 〇 年代 に 最大 版図 を 形成 する に いたる 清朝 における 政治 上 の 流れ の まさしく 源泉 で あっ た。 大 清 国 は、 多 民族国家 として の 規模 を 拡大 さ せ た という 点 で、 アイシン 国 の 政治 体制 を 一歩 進展 さ せ た もの と 捉え られる。
石橋崇雄
大清帝国への道 (講談社学術文庫)
第二章 民族統合・建国から大清国の成立──初代ヌルハチと第二代ホン=タイジの時代
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