19世紀の自由主義と帝国主義:イギリス・アメリカにおける共存と発展

自由主義思想の理論的背景

19世紀は「古典的自由主義」の全盛期であり、個人の自由と市場経済を重視する思想が広がりました。アダム・スミスの『国富論』(1776年)はその基礎を築き、政府の過度な介入を排し、自由な市場取引が公益をもたらすと説きました。事実、スミスの経済思想は 19世紀自由主義の経済的表現 とみなされ 、個人主義と私有財産に基づく市場経済(経済的自由主義)の原点となりました。スミスは国家に求めることは「平和、低い税金、正義の安定的執行」程度で十分だと述べ、**「自然な自由の単純な体系」**によって産業が発展すると考えました。このような小さな政府・自由貿易志向は、19世紀英国で保護貿易(重商主義)から自由貿易への転換を促す思想的土壌となります。

19世紀中葉のイギリスでは、自助努力と人格形成を強調するサミュエル・スマイルズの著書『セルフ・ヘルプ』(Self-Help, 1859年)がベストセラーとなり、「ヴィクトリア朝自由主義の聖典」とも呼ばれました 。スマイルズやJ.S.ミルの思想は、個人の努力と能力開発によって社会が進歩するという信念を育みます。歴史家エイサ・ブリッグズによれば、「自己救済(セルフヘルプ)はヴィクトリア朝中期に好まれた美徳の一つであり、進歩的な社会の発展は議会立法や集団行動ではなく各人の自助の実践にかかっていると論じられた」 とされます。ミルもまた『自由論』(On Liberty, 1859年)で個人の思想と言論の自由・選択の自由を擁護し、功利主義に基づく社会改革を唱えました。

しかし、自由主義思想家たちは同時に矛盾もはらんでいました。J.S.ミルは自由と自己決定を擁護しつつも、植民地の「未開」社会には専制的統治も正当化されうると述べています。彼は「野蛮人を扱うには、彼らの改善という目的が保証される限りにおいて、専制政治も正当な統治形態である」 と記し、近代的自由の原則は「文明社会」にのみ適用されると主張しました。この発言は、19世紀自由主義者が抱えたジレンマ――国内では個人の自由と自己責任を説きながら、植民地や「他者」には強権的支配を容認する姿勢――を如実に示しています。

帝国主義の台頭と資本主義的要因

19世紀後半になると、産業革命による経済成長と資本主義の拡大が帝国主義(imperialism)の新たな段階を生み出しました。産業革命によって工場生産が飛躍的に増大すると、工業国は原材料と新市場に対する飽くなき需要を抱えるようになります。例えば、ブリタニカ百科事典も**「新たな工業化は膨大な原料への食欲を生み、急増する都市人口を養う食糧も世界の隅々に求めるようになった」と述べています 。イギリスなど工業国は、世界各地から綿花、ゴム、鉱物資源、穀物などを調達し、自国の工業製品を輸出するという国際的な分業体制(世界経済の成立)を築きました 。蒸気船や鉄道、電信の発達により大量輸送と通信が容易になると、遠隔地との交易コストが下がり、より広範囲なグローバル市場**が形成されました。

経済面だけでなく技術・軍事面の発展も帝国主義を後押ししました。19世紀後半の**「新帝国主義」の時代には、ヨーロッパ諸国(イギリス、フランス、ドイツなど)やアメリカ合衆国・日本といった新興国が競って植民地支配に乗り出します 。近代兵器(連発銃や機関銃)と軍艦の性能向上、さらに医療の進歩(キニーネの発見によるマラリア克服など)によって、欧米諸国は以前は立ち入れなかったアフリカ内陸やアジア各地を武力制圧できるようになりました 。1870年代の世界的不況(1873年恐慌)の後、列強諸国は自国経済の安定のため積極的に海外進出**を図るようになり、20年間で地球上の非欧米地域の大半を分割・占領したのです 。

このような帝国主義拡大の背景について、後年の経済学者たちは理論化を試みました。例えば、イギリスの経済学者J.A.ホブソンは『帝国主義論』(1902年)で、**国内の過剰資本と有効需要の不足(過少消費)が資本家を海外市場・投資先へと駆り立てたと指摘しました。また、ウラジーミル・レーニンは著書『帝国主義:資本主義の最高段階』(1917年)の中で、20世紀初頭の独占資本主義を分析し、「帝国主義とは資本主義の独占段階である」**との有名な定義を残しています 。レーニンによれば、資本の集中・集積で生まれた巨大企業や銀行(金融資本)は、より高率な利潤を求めて植民地分割や勢力圏競争を引き起こしたのです。これらの見解は19世紀末から20世紀初頭の帝国主義を批判的に捉えたものですが、産業資本主義の発展が帝国主義政策の原動力となった点を強調しており、歴史的事実とも合致します。

イギリスとアメリカにおける政策・事例

イギリス帝国:自由貿易思想と植民地支配

大英帝国は19世紀に絶頂期を迎え、「世界の工場」と呼ばれる産業力と世界最強の海軍力を背景に、広大な植民地帝国を築きました。興味深いのは、イギリスが自由主義経済の理念を掲げつつ帝国を拡張したことです。1846年の穀物法撤廃はその典型例で、保護関税によって高値に維持されていた穀物価格を自由化し、安価な外国穀物の流入を可能にしました。これは**「製造業者にとっての勝利」であり、穀物保護で利益を得ていた地主階級に対する産業資本家階級の勝利**でもありました 。穀物法撤廃以降、イギリスは「自由貿易の擁護者」として各国に市場開放を働きかけ、しばしば武力を背景に自国商品の市場を確保していきます。

イギリスの対外政策は、「自由貿易の帝国主義」と後に評される独特の形態をとりました。歴史家ジョン・ギャラガーとロナルド・ロビンソンは有名な論文「自由貿易の帝国主義」(1953年)で、19世紀後半のイギリスは形式的な植民地支配よりも、非公式帝国(informal empire)を通じて自由貿易体制を広げることを優先し、どうしても必要な場合にのみ直接統治に踏み切ったと指摘しています 。例えば、清朝中国に対してイギリスは当初は民間商人の交易関係に委ねていましたが、清がアヘン貿易を取り締まると、自由貿易の原則を掲げて武力介入(アヘン戦争)に踏み切りました 。第一次アヘン戦争(1839–42年)では、イギリス政府は中国当局によるアヘン没収に抗議し、「自由貿易」と「外交上の対等な権利」を要求して開戦しています 。最終的にイギリスは勝利して南京条約を結び、清に香港割譲と5港の開港、巨額の賠償支払いを強制しました 。このように、自由主義の経済理念(自由貿易)を盾に取りつつ、軍事力で市場と権益を獲得する手法は、当時の典型的な帝国主義政策でした。

他地域でもイギリスは市場開放を迫り、インドでは東インド会社を通じて経済的・軍事的に支配した末、1858年に本国政府直轄の植民地(インド帝国)としました。インドは「帝国の宝石」と呼ばれ、綿花・茶・アヘンなどの原料供給地兼イギリス製品の市場として組み込まれました。一方で、イギリス本国では自由主義的改革も徐々に進み、1832年・1867年・1884年の選挙法改正で有権者が拡大し、労働条件改善のための工場法制定など社会改革も行われました。しかし植民地では現地住民に政治的自由は与えられず、反英抵抗には武力弾圧で応じる強権的統治が行われました。この二面性――国内では自由と法の支配、海外では専制的な権力行使――こそ19世紀イギリス自由主義の矛盾でした。

アメリカ合衆国:マニフェスト・デスティニーと市場拡張

アメリカ合衆国もまた19世紀に領土と勢力を大きく広げましたが、その帝国主義はイギリスと様相が異なります。米国は建国の理念として共和政と自由を掲げ、ヨーロッパ帝国主義からの決別を標榜しました。しかし19世紀を通じて、「明白な天命(Manifest Destiny)」というスローガンの下、北米大陸への西方拡張を正当化しました。これは「アメリカの開拓者は西方へ拡大する運命にあり、それは神に定められた使命だ」とする信念で、1840年代に盛んに唱えられました 。この思想はアメリカ例外主義やロマン派的国家主義と結びつき、「共和政体と自由の恩恵を新天地にもたらす」という道徳的使命感を伴っていました 。結果として、米国は先住民の土地を次々と併合し、1840年代の米墨戦争で現在のカリフォルニアやテキサスなど広大な領土を獲得しました。もっとも、このような膨張政策には国内でも賛否が割れ、奴隷制拡大の問題と絡んで激しい論争を引き起こしました 。実際、歴史家ダニエル・ウォーカー・ハウは**「アメリカの帝国主義は国民的合意を得たものではなく、常に激しい dissent(異議)があった」**と指摘しています 。

19世紀末になると、アメリカも海外に目を向け始め、新興の帝国主義国として台頭します。1898年の米西戦争(スペインとの戦争)はその転機で、米国は勝利後にスペインからフィリピン、プエルトリコ、グアムを獲得し、キューバにも事実上の保護統治権(プラット修正条項)を手にしました。米国はこの時期、**「アメリカ帝国主義の時代」に突入し、フィリピンやキューバなどに対して政治的・社会的・経済的支配を及ぼしたとされています 。フィリピンでは独立運動を武力で鎮圧し、太平洋やカリブ海における軍事的プレゼンスも強化しました。また、門戸開放宣言(1899年)に見られるように、中国市場にも参入を図っています。国務長官ジョン・ヘイは各帝国主義国に対し、中国における勢力圏を相互承認しつつ「どの国も閉鎖的な独占を作らず、全ての国に門戸を開放せよ」と提唱しました 。この「門戸開放政策」**はアメリカ流の自由貿易主義の表明であり、列強による中国分割を防ぎつつ、自国も対中貿易の機会を確保する狙いがありました 。1900年の義和団事件では、米国は列強の一員として派兵し、自国権益の保全に努めています 。

アメリカの帝国主義政策も、表向きの理念は**「自由の擁護」でした。モンロー主義(1823年)は欧州の西半球干渉を排する反帝国主義的宣言でしたが、その裏で米国自身が西半球の覇権を握る意図がありました。1904年にはセオドア・ルーズベルト大統領がモンロー宣言を発展させ「ルーズベルト式紳士協定(コロラリー)」を打ち出し、中南米の不安定な国に合衆国が介入する権利を主張しました。こうして米国はカリブ海・中米でたびたび軍事干渉(キューバ、パナマ、ニカラグアなど)を行い、経済的従属関係を築いていきます。米国の指導者もイギリス同様、自国の膨張を「文明化の使命」「自由の拡大」**と位置づけましたが、その実態は軍事力と経済力による勢力圏の拡大でした。

自由主義と強権主義の相克:政治・経済制度と階級闘争

19世紀のイギリスとアメリカでは、国内において自由主義的な制度改革が進む一方で、新たな社会問題や権力の集中が生じ、自由主義と強権的傾向のせめぎ合いが見られました。

政治制度の面では、両国とも徐々に民主化が進展しました。英国では選挙法改正による有権者拡大や議会改革が行われ、アメリカでは白人男性に対する財産資格の撤廃によって普通選挙に近づきました(ただし女性や有色人種は依然として排除されていました)。しかし、この時代の民主化は完全ではなく、支配層は依然として限られたエリートでした。イギリスではヴィクトリア朝期を通じて貴族院(貴族階級)と庶民院(選挙で選ばれるが制限選挙)の権力バランスが続き、労働者階級はなかなか政治的発言権を得られませんでした。米国でも南北戦争後に黒人男性に参政権が形式上認められましたが、実際には南部諸州で人頭税や識字テストによって投票権が奪われ、事実上の人種隔離体制(ジム・クロウ法)が敷かれました。一方、先住民や移民への抑圧も強まり、1882年には中国人移民を禁止する法律(排華法)が制定されるなど、自由の国といえども人種・民族による排除や抑圧が制度的に存在していました。

経済制度・階級闘争の面では、自由放任の資本主義が生んだ社会格差と労働者の悲惨な状況が大きな問題となりました。イギリスでは産業革命期に劣悪な労働条件や低賃金が蔓延し、労働者は**チャーティスト運動(1830–40年代)などを通じて政治参加と権利向上を求めました。これに対し政府・資本家側は当初強硬に弾圧しましたが、徐々に譲歩し工場法の成立(労働時間短縮や少年労働規制)や労働組合の合法化(1871年)などの改革が実施されました。アメリカでも南北戦争後の「ギルデッド・エイジ」(Gilded Age, 1870年代後半~1890年代)**に産業資本家(鉄道王や石油王など)による寡占と腐敗が進行し、一方で農民や労働者の困窮が深刻化します。1877年の大鉄道ストライキや1894年のプルマンストライキでは、連邦軍が動員されストライキは武力で鎮圧されました。こうした一連の出来事は、自由放任経済の下で労働者の権利が国家権力によって抑え込まれるという矛盾した状況を示しています。

19世紀末には、両国ともに自由市場を一定程度規制する動きが強まりました。アメリカでは反トラスト法(1890年シャーマン法)の制定や20世紀初頭の進歩主義時代における独占解体、食品薬品規制などが行われ、イギリスでも労働党の成立(1900年)や社会保障の萌芽となる改革(年金法や労働者災害補償法など、1906–11年)が導入されました。これはカール・ポランニーの言う**「二重の運動(ダブル・ムーブメント)」に通じる現象です。ポランニーは『大転換』(1944年)で、市場原理に基づき社会を組織しようとする動き(経済の脱嵌入化**)が進むと、それに対抗して社会保護を求める逆の動き(経済の再嵌入化)が生じると論じました 。19世紀の自由放任主義とそれへの反発(労働法や関税などの保護)は、このダイナミックな社会の自己防衛プロセスと捉えることができます。実際、ポランニーの理論は「近年30年のグローバルな展開を分析するのにも有用」であり、「古典的なレッセフェール(自由放任)は新自由主義(市場原理主義)の先駆けとなった」とも評されています 。

しかし、この調整過程は常に平和的・民主的だったわけではありません。19世紀末の米国を分析したギデオン・ローズは、当時の米国は経済成長と産業化、人口増と社会変動、大衆政治の勃興による混乱状態にあり、その帰結として**「自由放任経済の抑制」と「大衆民主主義の抑圧」が同時に進行したと述べています 。具体的には「経済的ポピュリストが無制限の自由放任を抑制し始め、一部のホワイト・ナショナリスト(白人至上主義者)は黒人の選挙権剥奪や移民制限によって動揺する地位を回復しようとし、進歩主義改革者は政治システムをジェントリ化(名望家中心に再編成)して大衆の政治参加を削減した」**とされています 。つまり、資本主義の暴走にブレーキをかける改革が行われる一方で、既得権層は民主主義を制限する方向にも動いたのです。イギリスでも労働者に選挙権が与えられたのは1918年まで待たねばならず、その間に帝国主義戦争(第一次世界大戦)に突入していきました。

要するに、19世紀の英米両国では自由主義(個人主義・市場原理)と帝国主義(権益拡大・権威的支配)が奇妙に共存しました。国内では自由と法の支配を掲げつつ、経済面では格差と労働搾取が進み、対外的には軍事力を行使して他民族を支配しました。この矛盾は当時も識者に認識されており、例えばイギリスの詩人ラドヤード・キプリングは帝国主義のイデオロギーを「白人の責務(White Man’s Burden)」という詩で表現して賛美しましたが、他方で批判者も現れました。結局、19世紀末から20世紀初頭にかけて労働運動や社会主義思想が台頭し、自由放任の体制に揺り戻しがかかっていくことになります。

現代アメリカにおける新自由主義の復活と強権主義の兆候

新自由主義(ネオリベラリズム)の特徴とその背景

20世紀中葉から後半にかけて、自由主義経済思想は一度下火になりました。大恐慌を経た1930年代以降はケインズ主義や福祉国家路線が主流となり、市場の政府管理や社会保障の充実が図られたからです。しかし、1970年代のスタグフレーション(景気停滞下のインフレ)を契機に、古典的自由主義を復活させた「新自由主義(ネオリベラリズム)」が勢いを取り戻しました。1979年にイギリスで登場したサッチャー政権、1981年に就任したアメリカのレーガン政権はいずれも、市場重視・規制緩和・民営化などの政策を断行し、停滞する経済の再生を図りました 。新自由主義は「民間企業の役割を重視し、経済のコントロールを政府から民間へ移すこと」を目指す政策モデルであり 、財政赤字の削減や減税、社会保障費の縮小、労働組合の弱体化、国有企業の民営化など一連の改革がその典型とされます 。

レーガノミクス(レーガン政権の経済政策)とサッチャリズム(サッチャーの政策)は新自由主義の双璧であり、「市場の自己調整能力への信頼」と「大きな政府(高福祉高負担)への批判」に貫かれていました。例えば、規制緩和で競争を促進し、金融市場を自由化すること、貿易障壁を取り除き自由貿易を推進すること、富裕層や企業の減税で投資を刺激することなどが掲げられました。これらは19世紀の古典的自由主義と軌を一にするもので、実際新自由主義は「レッセフェール経済学(自由放任)」の現代版と呼べる思想です 。1980年代以降、この流れは**「ワシントン・コンセンサス」**として世界銀行・IMFが新興国に構造改革を促す際の指針にもなり、グローバル資本主義のルールとなりました。

新自由主義の台頭とともに、グローバリゼーション(経済の地球規模化)が進展した点も見逃せません。冷戦終結後の1990年代はまさに自由市場経済が全世界に広がった時期で、多国籍企業が台頭し、資本・財・サービスの国際移動が飛躍的に増大しました。中国や旧東欧諸国が市場経済を取り入れたこともあり、「史上最大の市場化」が実現したのです。その結果、世界全体で経済成長が促進され、一部の新興国では貧困削減にもつながりました。しかし一方で、新自由主義的な政策は各国内部で所得格差の拡大や労働者の不安定化(非正規雇用の増大など)を招き、富の偏在が進むという副作用も指摘されています 。事実、1980年代以降、米国ではトップ層1%が国民所得に占める比率が大幅に上昇し、中間層の実質所得伸び悩みが続きました。この長期的傾向を統計的に分析した経済学者トマ・ピケティは、**「何もしなければ格差拡大のトレンドは21世紀も続き、民主主義に悪影響を及ぼす」**と警鐘を鳴らしています 。極端な不平等は世代間の固定化を生み、ひいては「金権政治」につながりかねないという指摘です 。

要するに、現代の新自由主義は19世紀の自由主義と同様に、市場原理と個人主義を軸としつつ、グローバルな規模で経済を再編しました。その強調点は次の通りです :

• 市場競争と自己責任の重視: 個人や企業の自由競争が最大の効率と成長をもたらすとする信条。成功も失敗も自己責任とみなし、政府による救済や介入を最小限にする。

• 規制緩和・民営化: 国営企業や公的サービスを民間に移し、政府規制(環境・労働・金融など)を緩和してビジネスの自由度を高める。

• 小さな政府志向: 財政赤字を嫌い、歳出削減(特に福祉給付の抑制)と減税によって政府の経済関与を縮小する。中央銀行の独立性を重視し、インフレ抑制(健全財政・金融引締め)を図る。

• 自由貿易とグローバル化: 関税・非関税障壁を撤廃し、貿易と資本移動の自由を推進する。世界規模のサプライチェーンを形成し、各国経済を相互依存的にする。

これらの政策により、一部では顕著な経済成長や株価上昇が達成されましたが、同時に**「民主主義への潜在的な危険」「労働者の権利侵害」「企業権力の肥大化」「不平等の悪化」**といった批判が付きまといます 。2008年の世界金融危機は市場原理主義の弊害を露呈し、その後一時は規制強化や政府介入(大規模な金融緩和と財政出動)の重要性が認識されました。しかし2010年代後半から2020年代にかけて、アメリカでは再び減税(2017年の大型減税法)や金融規制緩和の動きが見られ、新自由主義的政策が形を変えて持続・復活しているとの指摘もあります。

強権主義の兆候:現代アメリカの政治的変化と社会的分断

近年のアメリカ政治において、民主主義の健全性に対する懸念、すなわち強権主義的傾向の兆候が顕在化しています。特に指摘されるのは、選挙プロセスの歪曲や行政権力の濫用といった動きです。ブルッキングス研究所の報告によれば、「米国では選挙操作と行政府の権限濫用という2つの主要な民主制の侵食現象が進行中」であり、2010年以降多くの州議会が有権者の投票アクセスを制限**したり、選挙管理を党派的に支配しようとする法律を制定しているといいます 。具体的には、有権者登録の厳格化や期日前投票の制限、区割りの党派的ゲリマンダーなどを通じて、特定政党に有利な選挙制度改変が行われています 。さらに連邦レベルでも与野党の極度の対立で議会が機能不全に陥る中、大統領が大統領令や行政措置で議会を迂回して政策を推進する傾向(行政府の膨張)が強まっています 。その結果、官僚機構の中立性が脅かされ、司法の政治化も懸念される状況です 。

また、ポピュリズム(大衆迎合主義)と排外的ナショナリズムの台頭もアメリカ政治の風景を変えました。2016年に大統領に選出されたドナルド・トランプは、既成エリート批判と反移民・保護主義的な主張を掲げ、従来の共和党政治とは一線を画す**「権威主義的ポピュリズム」のスタイルを示しました。トランプ政権下では、マスメディアや司法に対する攻撃的言辞、政敵への中傷、さらには2020年大統領選挙結果の否認と支持者による議会襲撃事件(2021年1月6日)など、民主主義の根幹を揺るがす出来事が起きました。専門家はこうした現象を「内部からの民主主義の侵食」と捉えており、まさに「選挙で選ばれた指導者がその権力を用いて民主主義をむしばむ」**ケースに当たると指摘します 。

社会全体を見渡すと、アメリカ国内の分断と対立の深刻化も強権主義台頭の背景として挙げられます。経済格差の拡大に伴い、グローバリゼーションや技術革新の恩恵から取り残された層(ラストベルトの労働者層など)が不満を蓄積しました。その不満はエスタブリッシュメント(既成支配層)への反発となり、従来の政治に幻滅した人々が過激な言説を唱える政治家に惹きつけられる土壌が生まれました。また、都市と地方、学歴層と非学歴層、白人とマイノリティ、リベラルと保守といった様々な断層でアイデンティティの政治が強まっています。ソーシャルメディアの発達も陰謀論や極端な主張の拡散を容易にし、相互理解より相互不信を助長しました。このような社会状況では、「強い指導者」を求める声が出やすくなり、秩序回復や伝統的価値の擁護を名目にした強権的政策(移民排斥、治安重視の強硬策など)に支持が集まりがちです。実際、世論調査によれば4割近いアメリカ人が何らかの権威主義的主張に共感し得るとも報告されており 、民主主義の基盤が必ずしも盤石でないことを示唆しています。

経済政策面でも、強権的傾向は窺えます。新自由主義そのものは市場原理の尊重ですが、近年の米国では自由貿易体制に懐疑的な声が強まり、中国との貿易戦争や自国産業保護の関税措置など保護主義的介入が見られました。これは一見すると新自由主義の後退に思えますが、本質的には国家権力を動員して自国資本を守ろうとする動きであり、ある意味「国家資本主義」的な強権色を帯びています。また、大企業や富裕層への減税と同時に社会的セーフティネットの縮小が進めば、経済的弱者の不満はさらに高まり、社会の安定は損なわれます。皮肉にも、新自由主義政策が長期化すると、その反作用としてポピュリズムや権威主義が勃興し、リベラルな民主主義そのものが危機に瀕するという負のスパイラルが懸念されます 。

以上のように、2025年現在のアメリカには、一方でグローバル資本主義の潮流が続く中で他方では民主主義の歪みが進む、という複雑な状況が現れています。これは19世紀の状況と驚くほどの類似を示しています。実際、ある論考は「1890年代のアメリカは技術革新、経済の独占化、所得格差の拡大;政党の激しい対立、政治腐敗、社会的混乱;ポピュリズム、人種差別、外国人嫌悪が渾然一体となった時代」であり、**「現代との類似は驚くほど顕著だ」**と指摘しています 。そして重要な教訓として、当時その危機を脱するために講じられた手段と結果――例えば反トラスト法や民主主義制度の改革、あるいは逆に大衆動員の抑制――は、現代に示唆を与えるとしています 。

19世紀との類似点と相違点

類似点:

• 経済的不平等とエリート支配: 19世紀末の「金ぴか時代」(Gilded Age)と21世紀初頭の現代はいずれも、経済格差の拡大と富の集中という共通点があります。前者では鉄道王や石油王などの「強欲な男たち(Robber Barons)」が台頭し、後者ではIT長者や金融エリートが国富の大きな部分を握っています。どちらの時代も、中間層・労働者階級の相対的地位低下が問題となり、それが政治的不満を生み出しています。ピケティの歴史分析によれば、21世紀の先進国の富の集中度は19世紀末の水準に回帰しつつあり 、民主主義への影響が懸念される点でも酷似しています。実際、極端な経済的不平等は政治権力の不均衡に直結し、民主政治を形骸化させる可能性があります 。

• グローバル資本主義と帝国的膨張: 19世紀はイギリス帝国のもとで初のグローバル経済が形成された時代であり、21世紀はアメリカ主導のグローバル化が進んだ時代といえます。イギリスは覇権国家として軍事力と金融力で世界経済を掌握し、アメリカも第二次大戦後はブレトンウッズ体制やドル基軸通貨を通じて「影の帝国」を築きました。冷戦後の米国は軍事的には他国領土の植民地化こそ行わないものの、金融・貿易ルールや多国籍企業活動を通じて世界各地に大きな影響力を行使しています。これを指して現代の批評家は**「新帝国主義」や「帝国(アメリカ帝国)」**と呼ぶこともあり、過去の列強による植民地主義と地続きの現象と捉える見解もあります。両時代とも、市場拡大と資本輸出の欲求がグローバルな覇権行動につながった点で共通します。

• 自由放任とその反動: 古典的自由主義と新自由主義はいずれも市場原理を徹底しようとしましたが、その結果生じた社会的ひずみに対し反動(カウンター)が起きた点も似ています。19世紀末には労働運動・社会主義運動や国家による規制が強まり、20世紀の福祉国家体制への転換が起きました。21世紀の現在も、2010年代以降に各国で反グローバリズムや経済ナショナリズムが勢いを増し、最低賃金引き上げや富裕税導入などの動きが見られます。ポランニーの「二重の運動」が再び現れているとも言え、市場化の波に対して再調整の力が働いているのです 。

• 民主主義の動揺: 大衆民主主義が勃興する局面では、その扱いを巡って葛藤が生じます。19世紀末から20世紀初頭は普選運動や労働党・社会党の誕生で民主主義が拡大する一方、既存支配層がそれにブレーキをかける動き(例:南部アメリカでの黒人選挙権剥奪、欧州での台頭する社会主義への弾圧など)がありました。現代でも民主主義は拡大と後退の両面を見せています。グローバルには冷戦終結後に民主化が一気に進んだものの、近年は**「民主主義の退潮(democratic recession)」**が叫ばれ、権威主義的リーダーが選挙で選ばれる例(ハンガリーやトルコなど)が増えています。米国も例外でなく、1890年代と2020年代はいずれもポピュリストや極端な政治指導者の登場によって民主政治が試練にさらされているという共通点があります 。

相違点:

• 地政学的文脈の違い: 19世紀は多極的な帝国主義列強が覇を競う時代で、最終的に第一次世界大戦という世界戦争につながりました。一方、現代は冷戦後しばらく米国一極の覇権体制でしたが、近年は中国の台頭などによる新たな多極化が進んでいます。ただし、核兵器の存在により大国間直接戦争のハードルは非常に高くなっている点で19世紀とは根本的に異なります。そのため、対立は貿易戦争や技術覇権争い、地域紛争を通じた代理戦争の形を取っており、19世紀型の直接植民地争奪とは異なる様相です。

• 社会構造・価値観の変化: 19世紀は欧米列強が公然と人種差別的優越感(社会進化論など)を抱き、女性も参政権を持たず、労働者も政治的発言力に乏しい時代でした。21世紀現在、人権意識や平等理念は格段に進展し、形式的には全ての成人市民が参政権を持ち、人種や性別の平等も法の下では保障されています(実態とのギャップは残るにせよ)。このため、現代の強権主義はかつてのように露骨な差別や帝国主義を公言することは少なく、一見「民主的な手続きを装いながら中身を掏り替える」形で進行する傾向があります。例えば、選挙は行われても野党やメディアを締め付けて勝利を確実にする、というような「ハイブリッド体制」が各地で見られます。言い換えれば、21世紀の権威主義はイデオロギーよりアイデンティティや治安・繁栄への欲求によって支持を集める傾向が強く、19世紀帝国主義のような明白な植民地主義イデオロギーとは異質です。

• 技術と情報環境: 情報伝達やメディア環境がまったく違う点も重要な相違です。19世紀は活字媒体と電信程度でしたが、現代はインターネット・SNSによって情報が瞬時に拡散し、フェイクニュースも含め人々の認識に大きな影響を与えています。強権的リーダーはこれら現代的ツールを駆使して支持を動員・操作する術を心得ており、ボットやアルゴリズム操作による世論工作も可能になっています。一方で、市民側も監視社会やプロパガンダに対抗して情報発信できる手段を得ているため、21世紀の権威主義はデジタル空間での闘争という新たな局面があります。この点は19世紀には存在しなかった要素です。

• 制度的蓄積: 19世紀は民主主義や国際協調の制度が未成熟でしたが、現代は過去の教訓から国際連合や国際法の枠組み、国内でも憲法や司法制度の整備など、自由と権利を守る制度的防波堤があります。もっとも、それら制度も万能ではなく、内部からの侵食には弱いことが昨今明らかになっています。しかしなお、民主主義の自己修復力(選挙での政権交代、司法による違憲審査など)は歴史的に培われてきたものであり、19世紀当時より現代の方が制度的抵抗力がある点は相違点と言えるでしょう。

歴史学・経済学の視点から見る未来展望

歴史は繰り返すとも言われますが、正確には**「韻を踏む(rhymes)」**程度かもしれません。それでも、19世紀と現代の類似した構造を踏まえると、我々はいくつかの未来像を学問的知見から推察できます。

1. 民主主義の修正と資本主義の再調整: まず考えられるのは、20世紀初頭に起きたような**「修正資本主義への移行」です。すなわち、新自由主義的な行き過ぎを是正すべく政治が介入し、富の再分配や独占の規制、社会保障の強化などを行う路線です。実際、歴史を見れば大きな経済危機や不平等の拡大の後には、1930年代のニューディール政策や戦後の社会国家体制のように、より包摂的な経済体制への転換が起きています。経済学者の中には「現在は第二のギルデッド・エイジであり、ここから第二の進歩主義時代(もしくは新ニューディール)が必要だ」と主張する者もいます。例えばピケティは「21世紀の成長に19世紀型の不平等は必要ない」**と述べ、富裕税など大胆な政策で格差是正を図るべきだと提言しています 。こうした改革が実現すれば、資本主義はより持続可能で安定的な姿に生まれ変わり、民主主義も揺らぎから回復する可能性があります。

2. ネオリベラル・オーソリタリアニズムの固定化: 対照的なシナリオとして懸念されるのは、新自由主義と権威主義が結びついた体制の固定化です。歴史を見ると、自由市場と権威的政治が共存する例は珍しくなく、19世紀帝国はその一形態でした。現代でも、例えばシンガポールや中国のように経済的には市場メカニズムを活用しつつ政治は一党支配・強権体制というモデルが存在します。もしアメリカで民主主義の劣化が進み、憲法や法の支配がないがしろにされれば、**「表向き市場原理、実態は寡頭権力支配」という体制に陥る危険があります。その場合、選挙は形式的に続いても実質的競争は失われ、利益集団と政治エリートが結託した寡頭制(オリガルキー)的な国家になるかもしれません。経済学者ミルトン・フリードマンらのシカゴ学派の思想は自由と市場を結びつけましたが、皮肉にもチリのピノチェト政権(1973-1990年)の下で新自由主義政策が実験されたように、市場改革は時に強権政治と両立しうることが証明されています。したがって、米国が経済成長や株式市場の維持を優先するあまり民主的統制を緩めてしまうと、21世紀型の「新自由主義的権威主義」**が現出する可能性があります 。このような道を辿れば、長期的には社会の不満が鬱積し、いずれ大きな政治的崩壊や内紛を招くリスクが高まります。歴史上、民主的表現の抑圧された不満は過激な爆発(革命や内戦)となって噴出した例が数多くあるからです。

3. 社会主義・全体主義への振り子: もう一つの極端な未来像として、資本主義そのものへの信頼が崩壊し、全く別の体制への移行も考えられなくはありません。19世紀末から20世紀前半にかけて、自由資本主義への反動として社会主義革命やファシズム台頭という現象が起きました。同様に、現代の矛盾が解消されずに深まれば、急進的なイデオロギー運動が支持を集める可能性もあります。例えば、技術失業や環境危機と絡んで、脱成長主義的な経済モデルや全面的な政府統制経済(極端な左派ポピュリズム)が台頭するかもしれません。一方で、治安悪化や移民問題への恐怖から、極右的な全体主義(ファシズム的体制)が民主主義を完全に破壊してしまう危険もゼロではありません。これらはあくまで警鐘的シナリオですが、歴史の教訓として、自由と民主主義は不可逆的な進歩ではなく常に揺り戻しうることを認識すべきでしょう。経済史家の中には、現状を1930年代になぞらえる声もあり(当時も大恐慌から失業と貧困が拡大し、独裁政権が各地で生まれました)、過去の轍を踏まないためには国際協調と国内統合の努力が重要となります。

4. 新たなパラダイムの模索: 歴史経済学の視点からは、資本主義と民主主義の関係も進化しうると考えられます。イノベーションの加速やAIの普及に伴い、労働観や富の配分の在り方が抜本的に変わる可能性があります。たとえばUBI(ユニバーサル・ベーシックインカム)の導入や、協同組合型経済、あるいは地球規模での炭素規制といった21世紀特有の課題への対応が、新たな制度枠組みを生むかもしれません。これらは19世紀には存在しなかった発想であり、歴史は常に新要素を含んで展開します。経済学者ダニ・ロドリックは「グローバル化・民主主義・国家主権」のトリレンマを提起し、全てを同時に満たすのは不可能だと述べました 。将来、人類はどの優先順位を選ぶのか、例えばグローバルな課題(気候変動やパンデミック)に対処するために国家主権や経済利益を一部犠牲にしてでも国際協調を深めるのか、それとも国民国家単位で民主主義と福祉を守るためにグローバル市場を制限するのか、といった選択が迫られるでしょう。その意味で、人類の進む方向は一様ではなく、各国・各地域の選択によって複数のモデルが並存する時代になる可能性もあります。

結論: 19世紀の英米における自由主義と帝国主義の共存は、一見矛盾に満ちた現象でしたが、背景には市場拡大の欲求とそれを実現する国家権力の結託がありました。国内的には自由と平等を標榜しつつ、その恩恵は一部の階級・人種に限られ、矛盾が深まると社会改革や強権的抑圧という形で調整が図られました。同様の力学が現代にも見られ、新自由主義という名の個人主義的市場信仰と、ポピュリズムや民主主義の揺らぎという権威主義的傾向がせめぎ合っています。歴史学・経済学の知見からは、これは決して新しい現象ではなく資本主義社会の構造的な循環であると捉えられます 。重要なのは、過去のパターンを踏まえてより良い方向に進路修正することです。20世紀には二度の世界大戦という悲劇を経て、人類は国際連合の創設や人権宣言、福祉国家の発達など進歩を勝ち取りました。同じ轍を踏まず、人類が平和と繁栄、自由と公正を両立させる新たな均衡点を見いだせるか――それこそが歴史の教訓に学ぶ我々世代の使命と言えるでしょう。

Published by Atsushi

I am a Japanese blogger in Korea. I write about my life with my Korean wife and random thoughts on business, motivation, entertainment, and so on.

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