ウクライナ民族主義とナチズムの関係

1. 歴史的背景

ウクライナ民族主義の起源と発展:

ウクライナの民族主義運動は19世紀の民族覚醒に端を発し、第一次世界大戦後の1917–1921年にはウクライナ人民共和国の独立宣言など試みがありました。しかし独立は長続きせず、ウクライナの大部分はソビエト連邦(ウクライナ・ソビエト社会主義共和国)に、西部ガリツィア地方はポーランド第二共和国に併合されます。その後、西ウクライナではポーランド支配への抵抗運動が地下組織として続き、1929年にはウクライナ軍事組織(UVO)出身者や青年活動家がウィーンで「ウクライナ民族主義者組織(OUN)」を結成しました 。OUNは極右的な民族主義団体で、イタリアのファシズムやドイツのナチズムの思想的影響を受け、暴力やテロによって民族的に純粋な全体主義ウクライナ国家を樹立することを目的としていました 。このように第二次世界大戦前からウクライナ民族主義運動の一部は過激化し、独立のためなら武力行使もいとわない姿勢を示していたのです。

第二次世界大戦とウクライナ民族主義:

1939年に第二次世界大戦が勃発すると、ソ連とナチス・ドイツがポーランドを分割占領し、ウクライナ西部もソ連に占領されました。1941年6月に独ソ戦(大祖国戦争)が始まりドイツ軍がウクライナへ侵攻すると、一部のウクライナ民族主義者はドイツ軍を「解放者」として歓迎します 。OUNは内部で路線対立があり、1940年に穏健派のアンドリイ・メルニク派(OUN-M)と、急進派のステパン・バンデラ派(OUN-B)に分裂しました 。急進派を率いるバンデラはドイツの協力を得て独立を勝ち取ることを期待し、1941年6月30日にドイツ占領下のリヴィウでウクライナ独立を一方的に宣言します 。OUN-Bは「ソ連の圧政からの解放」という名目でナチス・ドイツと緊密に協力する姿勢を取り、実際リヴィウではOUNの民族主義者がドイツ軍と共にユダヤ人虐殺のリヴィウ・ポグロム(虐殺事件)に加担しました 。しかし、ナチス・ドイツはウクライナの真の独立を認めるつもりはなく、独立宣言に反発してバンデラやOUN指導者を逮捕・弾圧します 。このように第二次大戦期のウクライナ民族主義者たちは「ソ連打倒」のため一時的にナチスと利害が一致し協力したものの、ナチス側はウクライナ人を劣等民族視して独立を許さず、両者の関係は極めて複雑でした 。ナチスのウクライナ総督エリッヒ・コッホは公然とウクライナ人を「劣等民族」扱いし、部下に現地住民との交際禁止を命じ、「ウクライナ人は黒んぼ(ニガー)だ」と蔑称まで用いたほどです 。これは、ナチズムの人種主義的観点ではウクライナ人も「東方の劣等人種(ウンターメンシュ)」に含まれ、ドイツに隷属させる対象と見なされていたことを示しています 。

ウクライナ蜂起軍(UPA)の結成と抗争:

ナチス占領下で活動の場を失ったバンデラ派OUNは、地下に潜りパルチザン闘争へ戦術を転換します。1942年10月、OUN-Bはウクライナ蜂起軍(UPA)を組織し、独自に武装闘争を開始しました 。UPAは主にドイツ軍とソ連軍という二大勢力の狭間でウクライナの独立を目指し、ソ連赤軍やNKVD(内務人民委員部)に対するゲリラ戦を繰り広げます。一方で情勢に応じてドイツ軍とも局地的な休戦・協力をする場合があり、ソ連軍撃退のためドイツから武器供与を受けようと試みたこともありました 。しかし基本的にナチス・ドイツとUPAは友好関係ではなく、相互不信の下で局限的な便宜協力があったに過ぎません。UPAはまた、戦中末期の1943年から44年にかけて、西ウクライナ(当時はナチス占領下のポーランド東部)でポーランド人住民に対する大規模な民族浄化作戦を実行しました 。特にボルイーニャや東ガリツィアでのポーランド人虐殺では、女性・子供を含む数万人規模のポーランド人がUPAに殺害されています 。これは、将来のウクライナ独立国家から「異民族」を排除しようとする目的(ポーランド側による旧支配の復活阻止)から行われたものとされ、ナチスの人種政策と類似した極端な民族主義の表れでした。もっとも戦局がドイツ劣勢になると、OUN/UPA側もファシズム的イメージを払拭しようと路線転換を図り、1943年以降は「民主主義的な独立運動」であると装う宣伝を行うようになります 。大戦終結後、ウクライナは再びソ連支配下に置かれましたが、UPAはソ連当局に対して執拗に武装抵抗を続け、ソ連も徹底的な粛清で応じました。1947年にはポーランド当局が残存ウクライナ人を強制移住させるビスワ作戦が実行され、ソ連領内でも1950年代初頭までにUPAのゲリラ蜂起はほぼ鎮圧されています 。ソ連はUPA関係者とその支持層を大量虐殺・逮捕・シベリア追放し、その数は数十万とも言われます 。冷戦期には欧米の情報機関(CIAなど)が密かに亡命ウクライナ人の抗ソ活動を支援し、反ソ宣伝に利用したとされています 。一方、ソ連国内では民族主義者=「ナチ協力者」というレッテル貼りが徹底され、ウクライナ民族主義は長らく弾圧・封殺されていきました。

2. 具体的な人物や組織

ステパン・バンデラとその影響:

ステパン・バンデラ(1909–1959)は、第二次大戦期ウクライナ民族主義の象徴的人物です。彼はOUN急進派(バンデラ派)の指導者であり、過激な武闘戦術と強烈な反ソ・反ポーランド主義で知られました 。前述の通りバンデラ派は1941年にナチス・ドイツの侵攻に乗じて一方的に独立宣言を行い、当初はナチスとも協力関係にありました 。しかしナチス側に逮捕されたバンデラ本人は、戦争中の大半を強制収容所で過ごし(1941年から1944年までザクセンハウゼン強制収容所に抑留)、終戦直前に解放されます。その後冷戦下では西ドイツで活動しましたが、1959年にソ連KGBにより暗殺されました。バンデラはウクライナでは英雄視と悪魔化が真っ二つに分かれる人物です。ソ連・ロシアやポーランドでは「ナチス協力者」「残虐な民族主義者」として非難され、一方でウクライナの一部(特に西部ガリツィア地方)では「独立のために戦った抵抗運動の指導者」として崇拝されています 。実際、ウクライナ政府は2010年にバンデラに対し「ウクライナ英雄」の称号を授与(後に裁判で無効化)し、2015年にはOUNやUPAを「20世紀の独立闘士」として公式に顕彰する法律を制定するなど、名誉回復が図られてきました 。しかしこの動きは国内外で物議を醸し、ポーランドやイスラエルの当局者はバンデラとOUNをユダヤ人・ポーランド人虐殺の責任者として批判しています 。バンデラの名はロシア側プロパガンダにおいても頻繁に持ち出され、今日でも「バンデラ主義者(バンデラ派)」という言葉がウクライナ人一般を侮蔑するレッテルとして用いられているのが実情です 。

ウクライナ蜂起軍(UPA)とナチスとの関係:

UPA(ウクライナ語: Українська повстанська армія)は前述のように1942年に結成されたOUNバンデラ派の軍事組織で、ロマン・シュヘービチ(シュクヘビッチ)などが司令官を務めました。UPAは**「二正面作戦」を強いられ、ソ連赤軍および内務当局と激しく戦う一方、ドイツ軍とも必要に応じて衝突しました。特にソ連軍が西へ押し返してきた1943–44年頃には、ウクライナ民族主義者たちはドイツ軍占領下で勢力を伸張しつつ、独自にソ連へのゲリラ戦を展開しています 。ナチス側も対ソ戦力としてUPAを利用しようと、局地的に休戦や武器供与を図った例がありますが 、相互の不信は根強く、全面的な協調には至りませんでした。UPAは基本的に独ソいずれの支配も排し「ウクライナ独立」を勝ち取ることを至上目的としていたため、ナチスのイデオロギーに忠実に従属することはなかったと言えます。その意味で、UPAとナチズムの関係は「敵の敵は味方」という戦術的利害の一致に近く、イデオロギー的同一性とは異なるものでした 。実際、ウクライナ民族主義者にとってはUPAやバンデラは「ウクライナ独立のためソ連にもナチスにも戦った英雄」ですが、ユダヤ人などから見れば「ナチスに加担し多くの同胞を虐殺した許しがたい存在」でもあります 。歴史家の研究でも、UPAの一部部隊がナチスのホロコースト(ユダヤ人大量殺戮)に協力し多数のユダヤ人虐殺に関与したことが明らかになっています 。第二次大戦後、UPAはソ連当局との戦いに敗れ、多くのメンバーが処刑・逮捕されましたが、生存者や亡命者によって「不屈の抵抗運動」の伝説**が語り継がれました。こうした物語はソ連崩壊後のウクライナで再評価され、現在のウクライナでも毎年10月14日(UPA創設記念日)に右派団体がUPAやバンデラを称える行進を行うなど、その影響は政治・社会に残っています。

2014年4月、キーウ(キエフ)中心部の集会で、極右民族主義者たちがネオナチの象徴であるヴォルフスアンゲル(狼鉤十字)の腕章を着用している様子。この記号はアゾフ連隊のエンブレムにも取り入れられており、ウクライナ極右勢力とナチズムの思想的繋がりを象徴している 。

現代ウクライナにおける民族主義的団体(アゾフ連隊など)の活動:

ウクライナが独立を回復した1991年以降、表現の自由に伴って各種の民族主義団体が活動を始めましたが、その中でも2014年の「ユーロマイダン革命」前後に台頭した極右武装組織が世界的に注目を集めました。代表例が「アゾフ大隊(連隊)」です。アゾフ大隊は2014年のロシアによるクリミア併合と東部ドンバス紛争を受け、ウクライナ政府が編成を許可した義勇軍の一つでした。当初から白人至上主義やネオナチ思想を持つ欧米の極右志願兵やウクライナの過激な民族主義者が参加し、その初代指揮官アンドリー・ビレツキーは「ウクライナ人による白人の十字軍を率いて、ユダヤ人に率いられた劣等人種と戦うのだ」と公言する人物でした (ビレツキーは結成前に人種差別による殺人未遂で収監されていた経歴を持つ)。アゾフ大隊は創設当初こそ民兵集団でしたが、ドンバスでの武勲により正式に国軍(国家親衛隊)に編入され、重武装を許された精鋭部隊となりました 。その部隊章にはナチス親衛隊の鍵十字(ヴォルフスフック)や黒い太陽の意匠が組み合わされており、意図的に第三帝国の象徴を踏襲しています 。他にも2014年の政変直後には、極右政党「スヴォボダ(自由)党」や民族主義団体「右派セクター」出身の人物が暫定政権で副首相や大臣など要職に就任した例があり 、ウクライナ国内の民族主義勢力が政治・軍事に影響力を持つ局面もありました。もっとも、こうした極右団体は一般国民からの支持はごく限られており、選挙での得票率も数パーセント程度に留まっています 。それでもアゾフ連隊のように正規軍の中に公然と極右民兵が組み込まれている国はウクライナ以外になく、2010年代にはNATOやEUの関係者から「ウクライナにはネオナチ問題が存在する」と批判されることもありました 。事実、アメリカ議会は2015年、ウクライナへの武器援助の条件としてアゾフ大隊への支援禁止条項を設け、一時は対戦ミサイル供与を見送った経緯もあります 。ロシア側はまさにこの点(アゾフ連隊の存在など)を捉えて「ウクライナはネオナチに支配されている」と宣伝していますが、ウクライナ政府はアゾフを含む志願部隊を統制下に置きつつ、極右的な言動を表向き抑制する政策を取っています。

3. イデオロギー的関連性

共通点: ウクライナ民族主義(特に第二次大戦期のOUNやUPAなど過激派)とナチズムには、いくつかの思想的共通点が指摘できます。第一に、いずれも排他的な超国家主義(ウルトラ・ナショナリズム)であり、共産主義・ソ連に対する激しい憎悪と反発を掲げていた点です。ナチス・ドイツは「ユダヤ人ボルシェヴィズム」と戦うことをスローガンにソ連へ侵攻しましたが、ウクライナ民族主義者もまたスターリン体制下で大飢饉(ホロドモール)や粛清を経験しており、反ソ・反ロシア感情が極めて強かったことから、対ソ闘争において利害が一致しました 。第二に、民族や人種の純粋性を重視する思想傾向です。ナチズムは言うまでもなく「アーリア人種の優越」と「異分子(ユダヤ人やスラブ人)の排除」を掲げましたが、OUNもまた「ウクライナ民族国家の建設」のために他民族の排斥を辞さない方針を取りました 。実際、OUNは他民族支配からの解放を訴える一方で、必要とあらば暴力・テロ・暗殺によってウクライナ人以外の要素を一掃しようとした経緯があります 。その結果、戦時中のユダヤ人虐殺やポーランド人虐殺といった民族浄化行為に加担することになりました 。このように目的のために大量殺害を正当化しうる過激な民族主義という点で、両者にはイデオロギー的類似性が見られます。また、組織体制の面でも、カリスマ的指導者への服従や全体主義的統制を重んじた点で共通していました。バンデラ派OUNはファシズムにならって単一政党独裁・強力な指導者原理を志向しており、実際に「全体主義的ウクライナ国家」を目標に掲げています 。これらの共通項から、ソ連当局は戦後一貫して「ウクライナ民族主義=ファシズムの手先」と位置づけて宣伝しました。

相違点: 一方で、ウクライナ民族主義とナチズムの間には決定的な違いも存在します。最大の相違は思想の核心にある目的と対象です。ナチズムが「ゲルマン民族の人種的優越による帝国主義的支配」を追求したのに対し、ウクライナ民族主義は「被支配下にあったウクライナ民族の解放と独立」を目的としていました。ナチス・ドイツにとってウクライナ人は支配・搾取すべき対象に過ぎず、ヒトラーやゲッベルスはウクライナ人を「怠惰で秩序を乱すウサギのような劣等動物」と見なしていました 。ヒトラーは戦中、「ウクライナ人に独立など認めてはならない」と明言し、ドイツ占領当局もウクライナ人を二等市民扱いして独立運動家を次々と粛清しています 。これに対し、ウクライナ民族主義者たちはドイツ人を優越した主人と考えていたわけではなく、あくまで一時的な同盟者(利用できる相手)と捉えていました 。彼らの最終目標はウクライナ人自身による国家建設であり、ナチスの人種ヒエラルキーに組み込まれることは本意ではありません。実際、バンデラ率いるOUNは1930年代にはナチ党の人種思想を「帝国主義的・人種差別的でウクライナの利益にならない」と批判する論説を発表したこともあります 。第三帝国の理念に完全に同調していれば、ドイツ占領当局から弾圧されることもなかったでしょうが、現実には彼らは拘束・処刑されているのです 。またユダヤ人に対する姿勢にもニュアンスの差異がありました。ナチズムにおいてユダヤ人排斥・虐殺は中心的な目的でしたが、ウクライナ民族主義者にとっての主敵はまずソ連(ロシア)やポーランドであり、ユダヤ人は二次的な存在でした 。もっとも、戦時中には「ユダヤ人=ソ連政権の手先」という偏見から多数のユダヤ人虐殺に手を染めていますが 、これはナチスのように純粋な人種理論に基づく殲滅戦というより、反共産主義の延長線上で敵視した面が強いと指摘されています 。いずれにせよ、ナチズムが掲げた世界観(人種的優生思想による世界支配)と、ウクライナ民族主義の掲げたもの(自民族の独立と解放)には根本的な違いがあり、両者をイコールで結ぶことはできません。ただし大戦期においては、互いの利害が一致した局面で協力関係が生じ、結果的にウクライナ民族主義運動の一部がナチズムの犯罪行為に加担してしまったことも歴史の事実です 。ここに両者の複雑な関係性が現れています。

4. 国際的視点

ロシアにおける評価とプロパガンダ:

ロシア(および旧ソ連)において、ウクライナ民族主義は長年にわたり極めて否定的に描かれてきました。第二次大戦後のソ連では、OUNやUPAは「裏切り者」「ファシストの手先」と位置づけられ、ウクライナ人の愛国的抵抗ですら「バンデラ残党の犯罪」として糾弾されました 。このプロパガンダは現代のロシアにも色濃く受け継がれ、プーチン政権はウクライナ政府を「ネオナチ」と呼称して国内外に非難しています。2022年2月にプーチン大統領がウクライナ侵攻を正当化する演説で「ウクライナの非ナチ化」を掲げたのは、その最たる例です 。プーチンの歴史観では、第二次大戦中にナチスに協力したバンデラ派の流れを汲む「過激なウクライナ民族主義者」が現在のウクライナを牛耳っている、とされます 。しかし、この主張は大きく誇張されたプロパガンダであると多くの専門家は指摘します。ロシア当局はウクライナ国内のごく一部の極右集団の存在をことさら強調し、それを以てウクライナ全体を「ナチス国家」と決めつけていますが 、実際にはウクライナの政治において極右勢力は周辺的な存在に過ぎません。例えば、2019年ウクライナ総選挙で右派民族主義政党が獲得した票は合計してもわずか数%程度で、議会で大きな力を持つには至りません 。大統領のウォロディミル・ゼレンスキー自身がユダヤ系であり、親族もナチス・ドイツとの戦いで犠牲になった過去を持つことは象徴的です。ゼレンスキー大統領は「800万人以上のウクライナ人が対ナチス戦争で命を落とした。我々がどうしてナチス呼ばわりされねばならないのか?」と怒りをあらわにし、**「私の祖父はソ連軍人としてナチと戦い大佐まで昇進した。私がどうしてナチになり得ようか?」とロシア国民に直接訴えています 。また、世界各国の歴史学者300名以上が連名で「ウクライナ政府や指導者はネオナチではない。プーチンの『非ナチ化』という言説は歴史の歪曲だ」とする声明を発表し、そのプロパガンダ性を非難しました 。実際問題として、ウクライナにも他国同様ネオナチ的思想の者は存在するものの「ごく少数で政治的影響力もなく、ユダヤ人コミュニティを攻撃するような実態もない」**と専門家は指摘しています 。要するに、プーチン政権が喧伝する「ウクライナのナチ化」とは、第二次大戦のイメージを利用して自国民の愛国心に訴えつつ、ウクライナへの軍事侵攻を正当化するためのレトリックに過ぎないという評価が国際的な主流になっています 。

欧米の評価とウクライナ政府の対応:

欧米諸国の政府・メディアは、おおむねロシアの唱える「ウクライナ=ネオナチ国家」という見方を否定しています。アメリカやEUはウクライナ政府・軍を公式に支持しており、ゼレンスキー政権を極右勢力が掌握しているとは考えていません。その一方で、2014年以降にウクライナ国内で台頭した極右団体について西側メディアが懸念を示した事例もあります。たとえば米国の有力紙ワシントン・ポストやユダヤ系メディアのフォワード、専門誌ザ・ヒルなどは、ロシアの侵攻を非難しつつも**「ウクライナ政府が国内の極右・ネオナチ団体の存在や関与を過小評価(ホワイトウォッシング)している」と警告しました 。また欧米の人権団体は、ウクライナの極右団体による少数民族やLGBTへのヘイトクライムを報告し、政府の対応を監視しています。「アゾフ連隊」についても、そのネオナチ的性格から、米議会が一時ウクライナへの軍事援助に制限をかけたように 、西側でも問題視する声がありました。もっともロシアによる全面侵攻が始まった2022年以降、西側の報道はウクライナ支援の論調が強まり、極右問題への言及は減少する傾向にあります。この変化について、「ロシアのプロパガンダを真に受けるな」という良識的判断と見る向きもあれば、一部には「西側メディア自らがウクライナ極右問題をタブー化している」と批判する意見もあります 。ウクライナ政府は侵攻後、国内外向けに情報発信を強化し、「ウクライナにネオナチなど存在しない」という主張を繰り返しています 。ゼレンスキー大統領は自身がユダヤ系であることにも触れつつ、ウクライナは民主国家であり極右思想は受け入れないと強調しています。一方で現実的対応として、政府はアゾフ連隊のような過激志願部隊を正規指揮系統に組み込み、その過激な政治色を薄める措置を取ってきました。例えばアゾフは国家親衛隊の一部隊として公式任務に従事させ、政治組織「国家軍団(ナショナル・コー)」への移行を促すなどの対応が見られました。これは極右勢力を抑えつつ戦力として利用する施策とも言えます。またウクライナ議会は2015年に「共産主義およびナチスのプロパガンダ禁止法」を可決し、ソ連時代の共産党シンボルと並んでナチスの象徴利用も法律で禁じています。このようにウクライナ政府は自国内のネオナチ的動きを公には認めず、法的にも政治的にも距離を置く姿勢を示していますが、ロシアはそれを信用せず宣伝戦を続けています。イスラエルをはじめ国際社会も当初はロシアの「非ナチ化」論を一笑に付しましたが、戦争の長期化に伴い、ウクライナの極右問題をどう評価するかという難しい課題にも直面しています。とはいえ総体的な国際世論は「ウクライナ政府=ネオナチ」というロシアのレッテル貼りは根拠薄弱だと見なしており** 、むしろ侵略の口実としてナチスの歴史を歪曲するプーチン政権への批判が高まっている状況です。

参考文献:

• OUNとUPAの歴史的役割について: 

• 第二次大戦期のウクライナ民族主義者とナチスの関係: 

• ステパン・バンデラの評価をめぐる議論: 

• アゾフ連隊など現代の極右団体に関する報道: 

• ロシアのプロパガンダとそれへの反論: 

• 欧米メディアの論調と専門家の見解: 

Published by Atsushi

I am a Japanese blogger in Korea. I write about my life with my Korean wife and random thoughts on business, motivation, entertainment, and so on.

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