戦前言説の継承と変容:冷戦末期から現代までの日韓保守論壇の歴史分析

1. 歴史的背景:植民地支配から冷戦体制へ

1.1 「不逞鮮人」言説の起源と特徴

日本帝国主義時代、植民地朝鮮における抗日運動や独立運動の参加者たちは、日本官憲から「不逞鮮人」(ふていせんじん)と呼称された 。この語は「従順でない朝鮮人」を意味し、体制に従わぬ“不穏分子”というレッテルである。1919年の三・一独立運動前後、日本の新聞メディアは朝鮮人に対する否定的表象を一つの蔑称に集約し、この「不逞鮮人」概念を定着させた 。以後、植民地統治に抵抗する朝鮮人はすべて「不逞鮮人」として表象され、暴徒・犯罪者扱いされる言語的フレームワークが形作られたのである。これは単なる俗語ではなく、植民地権力の言語装置として制度的に機能した。警察や特別高等警察(特高)は「不逞鮮人」の摘発・検挙を名目に独立運動家や知識人を監視・弾圧し、治安維持法など法制度がその土台を支えた。すなわち、植民地期の言論統制と思想弾圧は、「不逞鮮人」という言説によって正当化・制度化されていたのである。

植民地権力はまた、このレッテルを通じて文化的な人種主義にもとづくイメージ操作を行った 。朝鮮人の民族性を「不逞」という否定的枠組みで語り、その「不逞鮮人」がしばしば残忍・粗暴・不忠であるかのように描写された 。このような言語と表象の操作によって、朝鮮人全体に対する支配と分断が維持され、帝国への忠誠を強いる皇民化教育とも相まって、反抗者への蔑視と憎悪が植え付けられた。植民地後期には、日本当局のみならず親日的な新聞や協力者たちもこの言説を流布し、「不逞鮮人」像の固定化に加担したと考えられている。

1.2 韓国における反共体制と言論抑圧の構造

1945年の解放後、朝鮮半島は南北に分断され、南側の大韓民国では反共主義が国家理念の中核となった。初代大統領李承晩政権(1948–1960)は、共産主義勢力だけでなく、自らの独裁に反対する民主勢力にも「共産主義の手先」「赤(빨갱이)」といったレッテルを貼り、苛烈な弾圧を加えた。李承晩政府は国家保安法(1948年制定)を主要な手段とし、この法律自体が日本統治下の治安維持法・保安法を受け継いで制定されたものであった。国家保安法は「反国家的」活動を広範に処罰する内容で、解放直後に公職追放を逃れた旧日本統治機構出身の警察・検察官僚たちが、その経験をそのまま活用できる枠組みとなった。たとえば、独立運動家でありながら政敵でもあった曺奉岩(チョ・ボンアム)は1959年、「共産主義者」との嫌疑で国家保安法により処刑されている。こうした措置に見られるように、**権威主義体制下では民主化勢力もまた“共産主義の仮面をかぶった反逆者”**とみなされ、親日残滓の官憲機構がこれを取り締まるという歴史的連続性が生じた。

1961年の軍事クーデターで登場した朴正熙政権(1961–1979)も、強固な反共イデオロギーを掲げつつ開発独裁を推し進めた。朴政権は当初から報道機関に対する強圧的統制を開始し、言論統制と検閲を制度化した。1964年には「言論倫理委員会法」を制定して報道内容を統制しようと図り(いわゆる「言論波動」事件)、1972年の維新体制下では検閲・報道指導が常態化した。朴正熙政府のメディア統制手法は、単に検閲・弾圧するだけでなく、大手新聞社に暗黙の保護と業界カルテル形成を許容することで、報道各社を国家体制に組み込んでしまうという特徴があった。このような**「国家吸収型」の言論統制**(報道機関を権力の一部として抱え込む方式)は朴政権に始まり、後継の全斗煥政権まで受け継がれた。実際、朴正熙政権末期から全斗煥政権下に至るまで、新聞や放送は体制擁護的な論調を余儀なくされ、反体制的なジャーナリストは解職・投獄される状況が続いた。

1980年に軍部クーデターで権力を掌握した全斗煥政権(1980–1988)は、朴時代以上に徹底した言論弾圧を断行した。全斗煥は非常戒厳令のもと、5・18光州民主化運動を武力で鎮圧すると同時に、報道機関に対する大規模な粛清「言論統廃合」を強行した。1980年下半期、軍部は新聞社・放送局を強制的に統合・整理し、約700人ともいわれる大量の記者・PDを「不穏分子」として追放した。さらに12月には「言論基本法」を公布し、文公部(文化公報部)長官に報刊の登録取消権を与えるなどの独裁的権限を定め、メディアを完全に政権の掌握下に置いた。これらの措置により、メディアは軍事政権の宣伝機関と化し、民主化を求める声は徹底的に抑え込まれた。以上のように、韓国の戦後権威主義体制は、一貫して反共を大義名分としつつ、植民地期から連なる法制度(国家保安法など)や検閲装置を駆使して民主化勢力と言論自由を抑圧してきたのである。

1.3 冷戦期における米国の極東戦略とメディア操作

冷戦期、韓国の反共独裁政権の背後には一貫して米国の支援と戦略が存在した。米国は東アジアにおける共産主義封じ込め政策の一環として、韓国の李承晩政権や朴正熙政権を安保上支え、経済・軍事援助を与える一方、民主主義や人権問題については矛盾した姿勢を取った。1960年代前半の例を挙げれば、ケネディ政権期の駐韓大使ライシャワーは朴正熙政権に対し民主的手続きを求めつつも、根本では反共体制の確立を優先して黙認するという二重の態度を取った。つまり米国は、韓国政府による一定の言論抑圧を看過・容認しつつ、行き過ぎのみを表面的に戒めることで、自らの極東戦略上の安定を図ったのである。

さらに、米国はメディア・世論工作にも直接・間接に関与した。朝鮮戦争期には米軍の心理戦部隊が「VUNC(国連軍司令部放送)」を運営し、韓国側の中央放送の監督や北朝鮮地域での宣伝放送を行った 。VUNCは戦時中、平壌放送を接収・運営するとともに、戦禍で破壊された韓国の放送設備再建を主導し、米国の価値観や政策を韓国民に伝える**「文化冷戦」媒体**として機能した 。戦後も米情報機関は韓国の対北宣伝や報道インフラ整備に深く関与し、韓国メディア人を米国に招待・訓練するなどのソフトパワー戦略を展開したと指摘されている。これらは韓国内の反共輿論形成に寄与する一方で、米国寄りの報道姿勢を醸成し、結果的に権威主義政権の言論抑圧に対する国際的批判を和らげる作用もあった。例えば1980年の光州事件当時、米政府は表向き全斗煥軍部を非難しなかっただけでなく、在韓米軍司令官ウィックハムの発言(「乱局克服には新たな指導力が必要」)が日本の新聞に報じられたように、暗に新軍部の掌握を容認する姿勢を示した。こうした米国の態度は韓国軍事政権にお墨付きを与え、以後も冷戦終結まで韓国における反共言説と報道統制の存続を間接的に支えたのである。

2. 保守メディア構造:韓国と日本における言論の交錯

2.1 韓国保守メディアによる進歩勢力への敵対的言説の変遷

1987年の民主化以降、韓国では表現の自由が保障されメディアの多元化が進んだが、既存の保守系メディア(朝鮮日報、東亜日報、中央日報など)の政治的影響力は依然として強大であった。保守メディアは進歩系政党や革新勢力(代表的には金大中・盧武鉉・文在寅らの系譜、すなわち現在の共に民主党)に対し、一貫して批判的・敵対的な論調をとってきた。その言説パターンには、冷戦期からの**「色깔論(色分け論)**」すなわちイデオロギー攻撃が脈々と受け継がれている。例えば左派政権期の2000年代、朝鮮日報をはじめとする保守紙は、盧武鉉政権を「親北左派勢力」と規定し、対北融和政策(太陽政策)や過去清算の試みを「反米・反日的」と非難する記事を多数掲載した。彼らは進歩派の主張や運動が現実離れして国益を損なうものだと強調し、ときに陰謀論的に「背後に北朝鮮の影」を示唆することもあった。

この色깔론的フレーミングは、保守勢力が劣勢に立つ局面で顕著に表れる。2008年の米牛肉輸入反対キャンドル集会や2016年の朴槿恵退陣要求デモに際しても、一部の保守メディアはこれら市民抗議を「左翼の扇動」や「従北勢力の策動」と断じた。また司法・行政をめぐる不祥事でも、問題の本質を覆い隠すために意図的にイデオロギー対立へすり替える手法が見られる。典型的なのは2009年の「司法府メール事件」である。ある大法院判事が下級審に圧力をかけていた疑惑を報じた進歩系メディアに対し、朝鮮日報は社説で「좌파신문의 사법부 흔들기」(左派新聞による司法府揺さぶり)と論難し、問題提起をした記者らを「좌파」とレッテル貼りして攻撃した 。この際、他の保守紙もこぞって色깔론を展開したため、中央紙の一角である京郷新聞が「親与保守언론の色깔論はジャーナリズムの自殺行為だ」と異例の反論コラムを掲載する事態となった 。京郷新聞は「重大な社会事案が起きるたびに、親与(政権寄り)保守언론は左右の색깔論を塗りたくって本質をねじ曲げてきた」「事件の本質を追う同僚記者たちの努力を“좌파”呼ばわりして嘲笑するな」と痛烈に批判している 。このように、保守メディア vs. 進歩メディアの対立自体が公開の場で意識されるほど、韓国言論空間では색깔론的言説が長期にわたり繰り返されてきた。

近年に至ってもその構図は完全には解消していない。2022年の政権交代で保守が執権すると、直後の2024年総選挙をめぐり早速また도「색깔론合戦」が展開された。総選挙に向けて野党勢力が連携を模索すると、朝鮮日報など保守언론は「左派」「反米」「親北」などの用語を動員した記事を連日掲載し、野党側を色分け攻撃する報道が相次いだ 。実際、2024年2月に結成された野党系の選挙連合に対し、朝鮮日報は「더불어민주당, 반미·좌파단체들과 정책연합 추진」(共に民主党、反米・左派団体と政策連合推進)との見出しで報じ、連合に参加した市民団体を「괴담세력」(怪談=デマ勢力)とまで称して国民の不安を煽った。この報道は野党連合がまるで「反米・左翼の烏合の衆」であるかの印象を与える典型例であり、他紙も追随して類似の色깔論報道を展開した。このように、韓国保守メディアの進歩勢力敵視の言説は、冷戦末期から民主化以降に至るまで形を変えつつも存続し、政治対立のたびに再生産され続けている。

2.2 韓国の保守言説の「翻訳」:日本言論空間への流入

韓国の保守論壇で用いられる進歩勢力攻撃のレトリックは、日韓関係や日本国内の言論にも影響を与えてきた。とりわけ冷戦終結後、韓国に革新政権(金大中・盧武鉉・文在寅)が誕生するたびに、日本の保守系メディア(産経新聞や保守系雑誌)やネット論壇は韓国保守勢力の論調を積極的に引用・拡散してきた。これは、日韓の保守派が歴史観・安全保障観で通底する部分が多いためである。例えば産経新聞は文在寅政権期(2017–2022)に、朴槿恵前大統領の弾劾と文政権成立を「左派による革命」と位置づけ、韓国保守派の視点に立った批判記事を多数掲載した。そこでは文政権や与党を「親北反日勢力」「急進左派政権」と呼び、韓国の保守系紙が主張する疑惑(例:曹国法相任命をめぐるスキャンダル)を詳細に伝えて日本読者に警戒を促すという論調が目立った。

実際、日本の保守論壇人もしばしば「韓国の左派=反日」「韓国の保守=知日親米」といった二元論的図式で韓国政治を論じる。元駐韓日本大使の武藤正敏氏はその典型で、メディアで「文在寅政権下で左派が教育と司法を支配し“反日体制”を温存している」といった主張を展開した 。彼は2023年の論考で、韓国の左派教職員(全国教職員労組)が子供に反日活動への参加を強要し、労組や市民団体が尹錫悦政権の外交(徴用工問題解決策など)に公然と反対していると批判している。これは韓国保守陣営が従来述べてきた「全教組=左翼イデオロギー集団」「民主労総系=過激派」「革新政権=反日的」という主張をそのまま日本語に置き換えた内容である。さらに武藤氏のみならず、多くの日本人保守論者が韓国の進歩派を論じる際、韓国保守紙の報道や論説を引用する傾向がある。産経新聞ソウル特派員経験者の著書なども、朝鮮日報の内容を下敷きに「韓国左派による反日扇動で日韓関係が悪化した」と論じる例が多い。

また、日本のインターネット空間でも韓国発の保守的言説が翻訳・消費されている。ヤフージャパンのニュースサイトやSNS上では、朝鮮日報や中央日報の日本語版記事(Chosun OnlineやJoongang Ilbo日本語版)が頻繁に引用され、韓国政治に関する議論の素材となっている。保守系まとめサイトや掲示板では、文在寅政権期の疑惑報道(「蔚山市長選不正介入事件」「曺国一家の不正」など)や、韓国で保守野党・言論が発する政権批判(「文在寅は北のスポークスマンだ」等)が盛んに取り上げられ、日本のネット右翼層による韓国批判と親和していった。たとえば文政権下の2019年に韓国で起きた曺国法相スキャンダルでは、日本の掲示板にも韓国検察発表や保守メディア報道が即座に翻訳紹介され、「文在寅の腹心が腐敗している」「やはり左派は偽善的だ」といったコメントがあふれた。こうした現象は、韓国の保守言説が国境を越えて日本の反韓・保守世論を刺激し、それが再び日本のメディアを通じて韓国にフィードバックされるという双方向のループを生んでいる。実際、韓国の保守紙には日本での反応を紹介する記事が散見され(「日本メディアも文政権の〇〇を批判」等)、それが国内保守世論の補強材料として使われることもある。

2.3 

事例:曺国(チョ・グク)氏をめぐる保守論壇の言説

2019年、文在寅政権が推進した検察改革の象徴的人物である曺国氏(当時法務部長官候補)に対し、韓国の保守論壇は集中砲火を浴びせた。いわゆる「曺国事態(チョグク・サテ)」では、保守系メディアが連日彼とその家族の不正疑惑を報じるとともに、曺国氏の政治的スタンスや過去の言動を攻撃する論説を展開した。その特徴的な言説パターンを分析すると、個人スキャンダル批判とイデオロギー攻撃が混在していたことがわかる。

まず保守メディアは、曺氏に提起された娘の不正入学や私募ファンド関与などの疑惑を「 특권층 좌파의 위선(特権層左派の偽善)」というフレームで叩いた。月刊朝鮮などは「강남좌파의 위선(カンナム左派の偽善)」という特集記事を組み、富裕なエリートでありながら平等を唱える進歩知識人の二重基準を糾弾した 。実際、「내로남불(自分がやればロマンス、他人がやれば不倫)」という当時流行した言葉は、曺国氏を念頭に「左派のご都合主義」を嘲る造語であり、朝鮮日報系の論客らがテレビ討論などで繰り返し使用した。同様に「조로남불(曺ロマンス他不倫)」「조국 생태계 교란」等、曺氏を皮肉る新語が次々登場し 、保守系SNSやデモのプラカードにも書き立てられた。これらは曺氏個人の不正問題を道徳的に断罪する一方で、それを韓国進歩陣営全体の偽善性へと一般化するレトリックであった。

さらに決定的だったのは、曺国氏へのイデオロギー攻撃である。彼は学生運動出身で左派的な発言歴もあるため、保守政治家や論者は公然と彼を「주사파」(主体思想派)「종북좌파」と呼んだ。国会の人事聴聞会では野党議員が曺氏の過去の寄稿文を引用し、「あなたはいまだに社会主義者か」などと質問を浴びせる場面もあった(曺氏は「自由主義者であり同時に一部社会主義者的理念も持つ」と答弁し物議を醸した) 。保守紙の論説では、曺国氏を文在寅大統領の「左翼革命」の尖兵と位置づけ、「曺国を守ろうとする勢力こそ親北反米の勢力だ」とする主張がなされた。実際、2019年秋にソウル市内で行われた保守派主催の大規模デモでは、「조국 구속」「문재인 하야」を叫ぶ群衆が太極旗と星条旗を振りながら行進し、壇上の論客が「これは朝野の争いではなく常識の戦いだ」「曺国事態は大韓民国を北傀勢力から守る闘争だ」と煽動した 。その様子は韓国ハンギョレ新聞の中国語版など海外メディアにも報じられ、日本の産経新聞や保守系サイトも「韓国で曺国糾弾の100万人デモ」と大きく伝えた。

結局、曺国氏は法相就任から1ヶ月余りで辞任に追い込まれ、続いて彼本人と妻は起訴され法廷闘争へと至った。曺国氏の失脚には実質的な不正行為の問題もあったが、それ以上に保守論壇による一種の「社会的死刑宣告」とも言うべき言説攻勢の威力が大きかったと評価される 。朴槿恵政権崩壊後に勢いを盛り返した韓国保守勢力は、曺国スキャンダルを絶好の機会として結集し、既存メディアからSNS、街頭までフル動員して「左派政権の虚偽と腐敗」のイメージを作り上げたのである。このケースは、戦前から連綿と続く「反体制派=国家の敵」フレームが現代でも強い効力を持つことを示す象徴的事例であった。

3. 言説構造の継承:帝国からナショナリズムへ

3.1 皇民化思想と反共ナショナリズムの連続性

日本帝国主義の時代、朝鮮人に対する皇民化教育(日本への忠誠と皇国臣民意識の植え付け)と厳格な思想統制が行われたが、その基本構造は戦後の韓国における反共ナショナリズムに形を変えて受け継がれたと指摘できる。両者に共通するのは、「体制への絶対的忠誠」を国民に要求し、それに背く者を**“非国民”または“反国家的存在”**として排除する思考様式である。

植民地期、日本は朝鮮人に対し「内鮮一体」を唱えつつ皇帝への忠誠を最上の徳とする教育を施した。学校では日本語の使用と皇国史観の刷り込みが図られ、反日の動きを見せれば直ちに「不逞鮮人」として処罰された。一方、独立後の韓国でも、国民に要求されたのは反共国家への忠誠であった。建国理念としての「自由民主主義体制」は、現実には「反共体制」とほぼ同義語となり、愛国心とはすなわち共産主義への憎悪と同値とみなされた。1968年、朴正熙政権は国民教育憲章を発布し、国民の義務として勤勉と愛国を説いたが、その背景には北朝鮮ゲリラ事件などを経て国威発揚と内部統合を図る意図があった。これは形こそ違え、皇民化教育の現代版とも言える側面を持つ。両者とも「外部の脅威」(皇国に敵対する列強や共産勢力)から国家を守るためと称して、個人の思想や少数派の権利を抑圧する論理を正当化したのである。

制度面でも継続性が確認できる。前述の通り、国家保安法は治安維持法の系譜上にあり、思想犯を処罰する法体系が断絶なく受け継がれた。また情報・警備機関においても、特高警察→韓国警察公安部門、憲兵隊→韓国軍保安部隊、といった人員・ノウハウの連続があった。さらに、植民地期に日本が構築した検閲制度(出版物審査、報道統制)は、米軍政期を経て韓国中央情報部(KCIA)や文化公報部によるメディア検閲制度に形を変えて継続した。統治主体は変われども、「国家の思想的同質性」を強制する装置が温存・再編成された点で、戦前・戦後の連続性は明白である。

ただし留意すべきは、韓国の反共ナショナリズムには皇民化とは異なる独自の文脈もあったことである。皇民化は異民族支配のイデオロギーであったが、反共ナショナリズムは民族自存と近代化を正当化根拠とした。そのため、前者が「皇室への忠誠」を絶対化したのに対し、後者は「韓民族の生存・繁栄」を絶対視した。とはいえ、その民族の名のもとに特定の権力(反共独裁)が正統化され、批判者は民族の裏切り者扱いされるという構造は同型である。すなわち、「異論の排除」という言説構造が戦前・戦後を通じて共通していると言えよう。

3.2 韓国における民主化勢力へのレッテル貼りの形成過程

上記のような歴史的連続性のもと、韓国社会では民主化運動勢力や進歩派に対する否定的レッテルが体系的に作り上げられた。その代表例が「빨갱이(パルゲンイ、赤)」や「용공분자(容共分子)」「좌익세력(左翼勢力)」といった罵倒語である。これらは解放直後から既に使用されていたが、本格的に政治レトリックの定番となったのは李承晩政権期から朝鮮戦争を経た時期であった。共産主義者のみならず、中道派や自由主義的な知識人までがこうしたラベルを貼られ、公職追放や投獄の対象となった。

特に顕著な例は、1960年代以降の軍事政権下である。朴正熙・全斗煥両政権は、学生・労働者の民主化要求デモを徹底的に弾圧するにあたり、**「背後に北がいる」「共産分子の煽動だ」と宣伝した。1980年の光州民主化抗争では、新軍部は市民蜂起を「폭도と北傀特殊部隊の乱」と喧伝し(実際には根拠のないデマであった)、全国に戒厳令を敷いて以後数年間「北風」(北朝鮮の陰謀)説を国民に刷り込んだ。この過程で、市民社会に根を下ろしつつあった在野民主勢力や学生運動は「従北勢力」「反国家団体」**として公式・非公式に位置づけられ、そのイメージが社会に定着していった。

民主化後も、そのレッテル貼りの遺産は政治対立に利用され続けている。軍政が終焉した1987年以降、政権交代を経ても国家保安法は廃止されず存置され、保守勢力は要所でこれを活用して進歩派を牽制した。金大中政権期には「潜伏北工作員」事件が頻発し、盧武鉉政権期には進歩系ミニ政党(民衆民主党など)に対する国家保安法適用が問題となった。そして2010年代には、保守政権(李明博・朴槿恵)の下で左派系政党・団体への弾圧が再燃し、2013年には統合進歩党が「北朝鮮式社会主義を目指す違憲政党」として憲法裁判所により強制解散させられるという、民主化後では異例の事態も起きた。この裁判でも、政府側は進歩党所属議員らを「종북」(従北)と決めつける論理を展開している。

文在寅政権に対しても、保守言論は一貫して同様のレッテルを張り続けた。文大統領自身が左派弁護士出身であることから、保守系紙・論者は彼を「左派」「親北・反米」「反日・従北」などと呼んで攻撃した 。実際、文在寅氏はインタビューで「自分は特戦司令部(韓国陸軍のエリート部隊)出身なのに、従北とは荒唐無稽だ」と反論せざるを得なかったほどで、保守メディアによる執拗な色깔론攻勢を受けていた 。このように、韓国社会では**「進歩派=左翼=親北=反国家」**という言語パターンが長い時間をかけて形成・強化され、それが政治的レトリックとして定着していることがわかる。

3.3 日本における「進歩的=反日的」という構図

興味深いのは、日本社会でも**「進歩的な言動=反日的」とみなす図式が存在し、それが韓国の状況と一種の対称性**をなしている点である。日本の右派・保守層にとって、リベラル派の歴史認識や平和主義的主張はしばしば「自虐史観」「反日思想」とみなされてきた。例えば、戦後の日本で教科書問題や慰安婦問題を提起した知識人・メディア(朝日新聞など)は、保守派から「国賊」「売国奴」といった罵倒を受けた経緯がある。インターネット時代になると、ネット右翼が活発化し、SNSや掲示板上で韓国・北朝鮮・中国、在日外国人、さらには日本国内のリベラル派市民に対し「反日」「非国民」等の罵声を浴びせることが日常化した。彼らは、自分たちの思想に同調しない人物をすべて「反日勢力」と見なす傾向があり、これは韓国の極右勢力が民主化運動出身の政治家を「親北・従北」と決めつける構図と鏡像的である。

この日韓双方に見られる「進歩派=国を害する敵」という構図は、歴史的背景こそ異なるものの、互いに影響を与え合っている面も指摘できる。日本の右派メディアは韓国の左派政権を批判する際、「彼らは反日イデオロギーに凝り固まっている」と論じ、一方で韓国の保守メディアは日本のリベラル派(例:村山談話を支持する勢力や、韓国側の歴史主張に理解を示す日本人など)に対して「日本国内の親韓左派(=反日勢力)」というような表現を使うことがある。つまり、**「ナショナリズム対立の構図において相手国の進歩派を敵視する」**というレトリックが、相互に呼応する形で現れているのである。

その背景には、植民地支配の記憶と冷戦体制の名残が複雑に絡み合っている。韓国の保守派にとって、進歩派はしばしば「親北で反日」、言い換えれば**「北朝鮮寄りで日本を敵視する勢力」と映る 。一方、日本の保守派にとって、韓国の進歩派は「反日」であり、また日本国内のリベラル派も韓国や中国の主張を代弁する「反日の同調者」に見える。これは結局、「自国の保守=相手国の友、自国の進歩=相手国の敵」**という二項対立に他ならず、ナショナリズム的な思考の延長線上にある。同時に、この図式は両国の保守言論人間で暗黙の共通了解として機能し、互いの主張を補強し合う関係にもなっている。たとえば韓国の保守論者は、日本のリベラルメディア(朝日新聞など)の論調を「それこそ日本国内の反日左派が韓国左派と結託している証拠だ」と攻撃材料に使い、逆に日本の保守論者は、韓国の左派政権下で反日世論が高まると「見よ、韓国は左翼が政権を取ると反日になる」と自説の裏付けとする。こうした負のスパイラルが、相互の世論の溝を一層深めてきた側面は否めない。

4. 現代への影響と評価:持続する言説と対抗の可能性

4.1 脱冷戦後も続く色깔論と言説の再生産要因

1991年に冷戦体制が崩壊し、韓国も民主化の定着とともに国内外の環境が大きく変化した。しかし、前述してきたような反共・反進歩的な言説は、その後も形を変えながら維持されている。その要因として、いくつかの構造的要素を挙げることができる。

第一に、南北分断の継続という現実がある。冷戦終結後も朝鮮半島の南北対立は解消せず、むしろ北朝鮮の核開発により安全保障上の緊張は新たな局面を迎えた。韓国保守派は核・ミサイルの脅威を強調し、北朝鮮に融和的な姿勢をとる進歩派を「安保意識が希薄」と批判しやすくなった。北朝鮮も体制宣伝の中で韓国の革新政権を賞賛したり、保守政権を罵倒したりするため、韓国国内では**「北が称える政権=左翼政権」という図式**が半ば刷り込まれてしまう面がある。南北関係が緊張するほど、保守陣営は国内の進歩勢力を「国家の安全を脅かす内なる敵」と見なし、色깔論的レトリックに訴えるインセンティブが働くのである。

第二に、既得権エリート層の自己正当化が挙げられる。民主化以降も韓国の軍・警察・情報機関、司法府、財界などには、権威主義時代からのエリートが多く残存し、その人的ネットワークは保守政治と結びついている。彼らにとって、過去の人権弾圧や腐敗の責任を問われることは避けねばならない事態であり、その防衛のためにも進歩勢力への攻撃が必要となる。過去清算を主張する革新派に「親北」レッテルを貼ることで、その訴えの正当性を貶め、自らの立場を守ろうとする心理が働く。このような歴史認識を巡る攻防は、実際に盧武鉉・文在寅両政権期に顕在化した。例えば親日派清算や過去の人権侵害調査が進められると、保守側は「歴史をイデオロギー化する左派の策動だ」と反発し、世論に訴えるといった状況である。歴史問題と現在のイデオロギー対立が絡み合うため、議論は感情的な様相を帯び、結果として旧来的な罵倒語が飛び交う低質な争いに堕することも多い。

第三に、政治的利得の問題がある。色깔론は有権者の不安や敵対心を刺激する即効薬であり、選挙戦などでしばしば利用される。とりわけ支持率が低迷する与党保守政治家にとって、国内に潜む「反国家勢力」を糾弾することは支持層の結集を図る手段となってきた。近年でも、2023年に尹錫悦大統領が突如「我々の自由民主主義体制を脅かす反国家勢力が各所で暗躍している」と発言し物議を醸した例がある 。このようにトップ自ら色깔론的修辞を用いるのは、20世紀型の古い政治手法との批判も受けたが、同時に一定層には響くメッセージでもあった。つまり、脱冷戦世代が増えたとはいえ、「反共ナショナリズムの記憶」は完全には風化しておらず、現在の40代以上を中心になお有効な政治レトリックとして機能し得るのである。

4.2 民主化以降の保守言説の再武装と日本での反響

民主化後、韓国の保守勢力と言説は一時的に劣勢に立たされたものの、やがて新たな形で再武装を遂げた。1990年代末の金大中政権誕生は保守に衝撃を与えたが、彼らは金大中政権に対する批判を通じてリベンジの足掛かりを掴んだ。朝鮮日報などは太陽政策を「対北宥和であり安保を揺るがす」と攻撃し、2000年の南北首脳会談後には「過度な対北融和は国論分裂を招く」といった論調を展開した。盧武鉉政権期には、保守系言論人はインターネット上で新たな読者を獲得する戦略を取り始めた。既存メディアに不信感を持つ若年層に向け、メールマガジンやネット論壇サイトを通じて保守的コラムを配信する動きが活発化したのもこの頃である。朴槿恵政権が崩壊した後、保守言説はさらに多様なメディア媒体へと拡散していった。特筆すべきはYouTubeの活用で、地上波テレビから姿を消した保守派論客が次々と個人チャンネルを開設し、文在寅政権への攻撃や保守支持者向けの動画を量産した 。これは一種の“言論ゲリラ戦”とも言える展開で、地上波・活字中心だった進歩派メディアへのカウンターとして相当の効果を上げた。実際、2020年頃には保守系YouTuberが数十万の登録者を抱えるケースも珍しくなく、彼らの発信内容(文政権の陰謀論や北朝鮮情勢の誇張など)が再び既存メディアに逆輸入される現象も見られた。

このような韓国保守言説の再活性化は、日本の右派世論にも敏感に反応を呼び起こした。日本では朴槿恵政権期まで比較的安定していた対韓認識が、文在寅政権期に急速に悪化したが、その一因として日本の保守メディアが韓国保守の論点(慰安婦合意破棄批判、徴用工判決批判、朝鮮半島危機への不安など)を大々的に報じたことが挙げられる。例えば2019年、日本の主要週刊誌は連週で「韓国大統領府の赤化」や「文在寅は北の代理人」といった刺激的見出しを掲げた。これらの記事には韓国保守系の研究者・記者の証言が多く引用されており、産経新聞ソウル駐在経験者による「文在寅政権の急進左派ぶり」の解説も頻出このような報道攻勢は日本国内の保守層に「韓国=反日左翼政権」というイメージを植え付け、日本の対韓強硬論を後押しした。同時にそれは韓国保守陣営にも伝わり、彼らは「日本でも文政権は危険視されている」と自説の正当性を誇示する材料とした。結果として、韓国保守言説と日本保守言説の相互反響が生じ、両国の世論対立は一層先鋭化するという負の側面が現れている。

4.3 SNS・市民社会・新興メディアによる対抗言説の模索

以上のように、戦前から連なる保守論壇の言説は強固である。しかし近年、これに対抗するオルタナティブな言説空間も徐々に成長してきた。まず韓国では、1987年創刊のハンギョレ新聞や1990年代創刊のオーマイニュースなど、進歩的価値観を掲げるメディアが台頭し、保守一色だった言論地図に変化を与えた。これら進歩系メディアは、保守政権期には権力批判をリードし、逆に進歩政権期には保守メディアに対抗する役割を果たしている。たとえば前述の2009年のケースでは、京郷新聞やハンギョレが色깔論報道に真正面から反論し、ジャーナリズムの原点(真実の追求)を訴えた 。このように進歩系メディアの存在自体が言説へのメタ批判となり、少なくとも一方的な言論環境ではなくなっている。

また、SNSやオンラインメディアの発達は、既存メディアの枠を超えた市民の言論参加を可能にした。2016年の朴槿恵退陣を求めるろうそく集会では、FacebookやTwitterを通じた一般市民の情報発信と拡散が大きな役割を果たし、保守政権側の「これは従北勢力の煽動だ」という主張を覆して国民的支持を得ることに成功した。一方、日本でも、いわゆる「ネット右翼」とは異なるリベラル志向のネットユーザーやブロガーが韓国の市民運動・進歩言論を支持し発信する動きが見られる。日本のSNS上では、韓国の民主化運動の歴史や市民社会の活力を紹介し、嫌韓・反共一色ではない文脈で韓国問題を論じる試みも増えている。

新興メディアも台頭している。韓国ではニュースタパ(探査報道専門のネットメディア)やYouTubeの進歩系チャンネルが、既存保守メディアの報道姿勢を監視・批判する機能を果たしつつある。ニュースタパは例えば「米政府資金で運営されるVOAやRFA(自由アジア放送)が、北朝鮮報道で韓国メディアによく引用されている」事実を指摘し、韓国メディアの構造的偏向を暴いた 。このようなメディア監視の言説は、保守・進歩の二項対立を超えてジャーナリズムの質を問う試みであり、徐々に市民の支持を集めている。また、日本においても独立系メディア(例えばWEB論考サイトや一部のYouTubeチャンネル)が嫌韓一辺倒ではない韓国分析を発信し、右派メディアに偏りがちな対韓イメージに修正を促している。

もっとも、SNS時代の言論にはデマや過激表現が蔓延する弊害もあり、かえって分断を深めるリスクも指摘される。それでも、多声性(ポリフォニー)の拡大自体は民主主義社会における健全な発展である。韓国では2022年の政権交代後も、野党・市民側から権力批判の声が絶えず発信され、保守政権が試みる色깔論的な論点逸らしは以前ほど効果を上げていないとの分析もある 。実際、2017年大統領選で文在寅陣営は保守側の色깔論攻撃を「もはや有権者には通じない時代錯誤だ」と一蹴し、選挙戦略を政策論争に集中させて勝利した経緯がある 。このことは、長年続いた色깔論の呪縛が徐々に弱まりつつある兆しとも受け取れる。

5. 結論:歴史的構造の認識と克服への展望

日本と韓国の保守論壇に連綿と息づく言説構造を振り返ると、それは単なる過去の遺物ではなく、現代の政治対立を形作る重要な一要素であることがわかる。日本帝国主義の時代に形成された「体制への従属/抵抗者の烙印」という言語フレームは、冷戦期の反共イデオロギーと結びついて両国それぞれの保守ナショナリズムに受け継がれた。韓国では民主化勢力が「左翼」「従北」「反国家」とされ、日本では進歩派が「反日」「国賊」と呼ばれる構図に、その痕跡を見ることができる。そして両国の保守論壇は互いの言説を輸入・利用し合い、政治的主張の正当化に資してきた。

しかしながら、時代の推移とともに社会の成熟も進んでいる。冷戦が遠ざかるにつれ、若年世代を中心にイデオロギー対立よりも生活課題や人権、多文化共生といったテーマを重視する声が大きくなっている。韓国のろうそく市民革命や日本の若者による歴史対話の試みなど、市民社会発の新しい連帯も芽生えつつある。こうした動きは、長く固定化してきた「保守vs進歩」のレッテル闘争を乗り越え、より創造的な社会ビジョンを模索する土壌となり得る。

重要なのは、過去から続く言説構造を客観的に認識し、その作用と限界を正確に把握することである。本稿で分析した歴史的・構造的文脈を踏まえれば、両国の保守論壇による敵視言説は一種の**「見えない支配装置」**として機能してきたことが明らかになる。それを解体していくには、市民一人ひとりが批判的思考を持ち、メディア・政治家の言説を鵜呑みにしない態度が求められるだろう。また学術研究やジャーナリズムの役割も大きい。韓国では近年、『創作と批評』や『韓国言論学報』といった媒体で言論と権力の関係を検証する論考が蓄積されており、日本でも『世界』や『現代思想』などで植民地主義と冷戦思考を再考する試みがなされている。こうした知的営為がさらに深化し社会に浸透すれば、保守・進歩の健全な対立を残しつつも、相互敵視の陳腐な言語ゲームは次第に影を潜めていくことも期待できよう。

参考文献(出典は文中に【】で示した):

【30】 오마이뉴스, 폐지 주장 나오는 국가보안법… 애초 어떻게 도입되었나, 2022年

【41】 프레시안, <조선> 또 ‘색깔론’…<경향> “지나치다” 직공, 2009年

【8】 NAVER学術情報, 이영석『한국 역대정부의 언론정책 변화에 관한 연구』(2004) 抜粋

【17】 한국기자협회, 고승우「전두환의 80년 언론학살…」, 2021年

【51】 KCI, 김영순「한국전쟁 기간 미국의 대한(對韓) 방송활동」(2017) 抜粋

【2】 李鍾元「戦後米国の極東政策と韓国の脱植民地化」岩波講座『近代日本と植民地 第8巻』(1993) 抜粋

【61】 김태윤「1919년 3·1운동 전후 … 불령선인 담론의 형성」『日本研究』(2021) 抜粋

【23】 민주언론시민연합, 조선일보와 KBS,… ‘반미’ ‘친북’ 색깔론 보도 최다, 2024年

【59】 東亜日報, ‘강남좌파’의 틀로 본 … (姜俊満著『강남좌파』書評記事), 2011年

【55】 文在寅 Wikipedia(中国語版), 抜粋

【35】 ダイヤモンドオンライン, 武藤正敏「韓国“反日体制”温存の実態」, 2023年

【46】 월간조선, [심층취재] ‘조국 사태’로 본 ‘강남좌파’의 위선, 2019年

【12】 한겨레(引用: 東亜日報), 1980年代 전두환 칭송했던 언론들 지금은…, 2013年

【60】 뉴스토마토, 색깔론에 맞선 노무현을 소환한다, 2023年

Published by Atsushi

I am a Japanese blogger in Korea. I write about my life with my Korean wife and random thoughts on business, motivation, entertainment, and so on.

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