植民地期司法制度の中央集権的官僚性と日本法の移植過程
1910年の韓国併合以降、朝鮮半島には日本の近代司法制度がそのまま移植されました。日本政府(朝鮮総督府)は当初、朝鮮の「民情・風俗」に配慮すると称して、日本本国と異なる法体系(いわゆる「制令」制度)による統治を行いました 。しかし実際には、1912年公布の「朝鮮民事令」・「朝鮮刑事令」によって、日本の民法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法など日本内地法が朝鮮にも適用されることになり、法制度の根幹は日本本国の模倣となりました 。同時に裁判所制度も再編され、1912年の「朝鮮総督府裁判所令」改正によって地方法院(地方裁判所)・覆審法院(控訴院)・高等法院(高等裁判所)からなる**「3級3審制」**が導入されます 。これに伴い各地方法院には支庁(支部)が置かれ、そこに検察分局も併設されるなど、裁判所と検察の組織が整備されました 。
この植民地司法制度の大きな特徴は、中央集権的かつ官僚的であった点です。朝鮮総督は立法・行政のみならず司法権も掌握し、総督府裁判所は総督に直属する行政機関に過ぎませんでした 。実際、判事・検事の任免すら総督の裁量下に置かれ、司法部門は「一介の行政府局にすぎなかった」のです 。このように司法の独立は認められず、裁判所は総督府官僚機構の一部として統治の道具となりました。例えば「朝鮮総督府裁判所令」では朝鮮人判事・検事に対する差別規定(日本人案件を扱えない)が存在し、実質的に初期には日本人のみが司法官に任用される仕組みでした(この差別条項は独立運動後の1920年になって削除) 。また、日本本国で導入されつつあった陪審制など近代的な司法保障も、朝鮮では適用が見送られました 。その代わりに総督府は「朝鮮太刑令」による笞刑(むち打ち刑)の復活や、警察による即決裁判制度の導入など、むしろ本国以上に抑圧的な施策を盛り込んだのです 。これらは形式上は近代的司法制度の移植でありながら、実態としては植民地統治に便利なよう官僚権力を強化したものでした。研究者の文准英(문준영)氏は著書『日帝下の司法制度研究』などで、朝鮮総督府司法制度の成立過程と運用実態を詳細に分析しており、その中央集権・官僚主義的性格が強調されています。総じて、日本帝国主義下の朝鮮司法は日本の法制度を表面的に模倣しつつ、総督府の専制的支配に従属した制度だったと言えます 。
植民地期検察制度における起訴独占主義・指揮権・中央集権構造の確立
日本統治期の朝鮮で確立された検察制度もまた、日本の大陸法系モデルを踏襲しつつ植民地統治に適合する形で整備されました。まず、刑事手続において起訴独占主義が導入され、犯罪の起訴(公訴提起)は検察官のみが行えるものとされました。伝統的な朝鮮社会には存在しなかったこの原則は、日本の近代刑事司法の一部として移植されたものです (※日本では明治以来、検察官が公訴権を独占し、私人による起訴は認められませんでした)。これにより、刑事裁判の開始権限は検察に集中し、植民地統治者にとって都合の悪い者だけを選択的に起訴するといった恣意的運用も可能となりました。併せて**起訴便宜主義(起訴裁量主義)**も採用され、検察官が証拠十分でも公益上不起訴とする裁量を持つなど、刑事訴追のコントロール権を手中に収めました(『韓国検察制度の形成と課題』所収論文より)。
次に、検察は警察・司法に対する強力な指揮権を備えていました。日本の刑事手続では検察官が「公訴の主導者」として警察の捜査を指揮監督しうる建前であり、朝鮮でも検察官は司法警察官(警察)の捜査活動を指導・統制する権限を持ちました 。さらに裁判所に対しても、検察官が判決に不服の場合は控訴・上告できるなど、訴訟を主導する役割を果たしました。とりわけ1910年代の朝鮮刑事司法では、予審制度(프랑ス由来の予審判事による事前調査制度)が人権保護よりも検察主導の捜査強化に利用され、被告人の防御権が極端に制限されていました 。総督府は1912年の「朝鮮刑事令」で令状なしの捜索・押収や長期の身柄拘束を検察官に認め(同令12条・13条)、司法審査を経ずに強制捜査を行えるようにしました 。これは「令状主義」を骨抜きにし、刑事手続の入り口である捜査段階から検察官が絶大な権限を振るう体制を築いたことを意味します。日本本国ですら人権上の懸念から採用しなかった強権的措置が、朝鮮では平然と実施されたのであり 、検察は植民地統治の“尖兵”としての役割を担ったのです。こうした状況下、検察官による取調べ書(検察調書)は裁判で絶対的な証拠力を持ち、被告人の自白偏重主義が定着するなど、「検察官が刑事司法を支配する」傾向が強まりました 。実際、刑事司法の入口(捜査)から出口(刑の執行)まで検察が主導権を握る体制は「検찰사법(検察司法)」とも称され 、その原型は植民地期に形成されたといえます。
さらに、検察組織自体も厳格な中央集権構造が確立されました。朝鮮総督府下では各級裁判所に検事局(검사국)が附置され、高等法院に検事長、覆審法院に検事正、地方法院に検事正、支庁(地方裁判所支部)ごとに検事が配置されました 。下級検事は上級検事正の指揮下に置かれ、全体がピラミッド型のヒエラルキーで統制されています 。これは日本の検察制度(全国を一元的に統括する司法省・検事総長の下、地方検察庁が上下系列を形成)の移入であり、地方分権的な要素は皆無でした。検察官は天皇から任命される「勅任官・奏任官」という形で官僚機構の一翼を担い、朝鮮人の採用はごく少数に限られました 。以上のように、植民地期の検察制度は起訴権限の独占、警察・下級官への指揮命令系統、中央集権的組織という三点で特徴づけられます。それらは日本本国の制度を基本としつつ、朝鮮における帝国的支配を効率化するためさらに強化・運用されたものでした。学界でも趙炳玉(조병옥)氏の『韓国検察制度の形成と課題』などで、植民地検察の成立とその影響が論じられており、朝鮮総督府検察が持った過剰な権限は後の韓国検察の構造的基盤になったと指摘されています 。
戦後韓国への制度的継承と民主化以降の「帝国的遺産」批判
1945年の解放後、韓国は一応は帝国からの離脱を果たしましたが、司法・検察制度の基本的枠組みは植民地期から連続性を持っていました。米軍政期には日本統治下の法令が暫定的に維持され、1948年に大韓民国が樹立されてからも、旧総督府の裁判所・検察制度を土台に新たな法制度が整備されます。例えば1948年の「裁判所法」や1949年制定の「検察庁法」は、それまで一体化していた司法と検察を名目上分離し三権分立を謳ったものの、その内容は日本式の中央集権型検察組織をほぼそのまま受け継いでいました 。検察庁法により検察は行政機関(法務部)所属とされ、全国を統括する検察総長の下、地方検察庁・支庁に至るヒエラルヒーが築かれています 。これは現在まで維持された韓国検察の基本構造であり、「検察主導型の刑事司法体系」「行政機関所属の検察組織体系」「中央集権型の検察組織体系」と要約されるものです 。戦後も引き続き多くの元朝鮮総督府官僚・司法官が要職に留まり、司法省(法務部)や内務省(後の治安機関)で重用されたことも制度的連続性を強めました 。その結果、韓国の司法・検察は解放後も長らく植民地期の遺産を色濃く残し、「관료우위의 권위주의 사회」(官僚優位の権威主義社会)の体質が固定化したと評されます 。
特に権威主義体制下(李承晩政権や朴正熙・全斗煥の軍事政権期)には、検察は政権の弾圧装置として機能し、その強大な権限はむしろ拡大しました。日本統治時代の治安維持法に倣った国家保安法などを駆使し、反体制勢力への起訴・投獄が恣意的に行われました。こうした中で韓国検察は**“無双の権力”と称されるまでになり 、民主化以降においても「검찰공화국(検察共和国)」と揶揄されるほど強い影響力を保持してきました。1987年の民主化以後、このような検察権力の在り方に対する見直しと改革要求が本格化します。法学者の金容泰は、韓国の検察制度について「検察主導型の刑事司法および中央集権的検察組織は憲法的観点から多くの問題がある」と指摘し、現行制度を民主主義原理に合致するよう再編すべきだと論じました 。市民社会や学術界でも、強大な検察権は「帝国的遺産」すなわち日本植民地支配と独裁統治の遺産であるとする批判が繰り返されています。例えば韓国の全国紙『경향신문』は、韓国検察の権限が「世界的に類を見ない過剰なもの」であり、その淵源は植民地期の朝鮮限定制度にあると報じています 。日本でも懸念された強権的制度が韓国では解放後70年経っても残存し、人々もそれを当然視してきたと指摘されており 、民主化以降における改革論議の核心はまさにこの「長く残存した帝国的枠組み」を解体し、司法を民主的統制下に置くこと**でした。
1990年代以降、司法改革委員会などで検察の権限分散策が議論され、2000年代には「検察の政治的中立」「人権保障の強化」が進められました。しかし根本的構造である起訴独占・集中体制は容易に変わらず、帝国的遺産とも言える検察特権は長らく維持されました 。近年では文在寅政権下(2017~2022年)で高位公職者犯罪捜査処(いわゆる公捜処)の新設や検察・警察の捜査権調整が行われ、ようやく検察中心の捜査慣行にメスが入っています。2022年には検察の直接捜査権を大幅に限定する法改正も実現し、これは検察制度の脱「帝国的」再編とも評価されました。もっとも検察側からの強い抵抗もあり、真の改革は道半ばとも言われます。韓国の法制史研究(例:『法院과 檢察의 誕生』 や『식민지 유산, 국가형성, 한국민주주의』 等)でも、植民地期から受け継いだ司法制度の克服が韓国民主主義の重要課題として論じられています。現代韓国における司法・検察改革の文脈では、このような歴史的視座からの「帝国的遺産」批判が不可欠であり、韓国社会は今なお過去の制度的影響と向き合い、その清算に取り組んでいるのです 。
参考文献:文준영『日帝下の司法制度研究』、金容泰「韓国 헌법과 검찰제도」『서울법학』21巻3号、趙炳玉『韓国検찰制度의 형성과 과제』、韓国高等検察庁『검찰 제도의 변천』、韓国史編纂委員会『日帝下의司法制度硏究』ほか。各種の韓国語研究書・論文、および国史編纂記録や新聞記事 に基づき執筆しました。