はじめに: 民主化と検察権力の位置づけ
1987年の民主化(6月抗争)によって韓国は軍事独裁から民主政へと転換しましたが、この過程で検察という権力機構には大きな変革がもたらされませんでした 。権威主義政権下で政権の道具となっていた検察は、民主化後には「政治的中立」や「司法の独立」を掲げつつ、自らの権限を守り拡大していったと指摘されています 。実際、1987年の民主化は軍部と旧与党勢力の妥協による側面が強く、この妥協の中で多くの「検察出身政治家」が誕生し、新政権の要職を占めました。その結果、軍や情報機関に代わって検察が国家権力行使の中心的役割を担うようになり、検察権力はいっそう強大化したのです 。このような経緯から、韓国における検察は民主化後も**「검찰공화국(検察共和国)」**と揶揄されるほど強力で、政治権力とも深く結びついた存在として位置づけられるようになりました 。本稿では、民主化以降の主要事件、制度改革、政治的影響、メディア報道、社会運動など多角的な観点から、検察権力に対する民衆の不信と反発がどのように形成されてきたかを詳述します。
民主化後の検察権力の拡大と政治との関係
民主化直後の盧泰愚政権(1988–1993)では、旧軍部独裁の首脳であった全斗煥・盧泰愚両元大統領の処罰(1995年)が検察によって実現し、一見すると検察が権力に左右されず「正義」を実現したかに見えました。しかし同時に、「강기훈 유서대필事件」(1991年、民主化運動家に対する遺書捏造事件)などに見られるように、検察は依然として反体制勢力を抑圧する手段として機能し続け 、民主化後もしばらくは旧来の政治的性格を残していました。1990年代初頭には、検察出身者が国家安全企画部(現・国家情報院)の部長に起用されるなど、政権内部で検察の影響力が増大しました 。盧泰愚政権末期の危機(1990年の与野党合同に伴う与党離党要求事件や、軍情報機関による民間人査察事件)でも、検察は政権を守るため積極的な捜査を行い、政治的役割を果たしたとされています 。こうした動きから、民主化以降もしばらくは**「政治検察」**による恣意的な権力行使が続いたため、検察に対する市民の不信感は根強く残りました。
金泳三・金大中政権期(1993–2003)には、腐敗撲滅と改革の一環として検察改革が議論されました。特に金大中政権下では、1999年に明るみに出た**「大田銭造公社スト誘発事件」(検察が労組の不正を誘導した疑惑)や「検察高官への高級スーツ接待事件」(いわゆる「옷로비(服ロビー)事件」)によって検察不祥事が連続し、検察は創設以来最大の危機に直面しました 。これに応える形で、韓国では史上初めて「特別検察官(특별검사)」制度が導入され、政権は「司法改革推進委員会」**を発足させるなど検察改革に着手しました 。しかし、国会での聴聞会や検察の捜査でもこれら不祥事の全容解明には至らず、「分かったのは有名デザイナー(앙드레 김)の本名だけだった」という自嘲交じりの言葉が残る結果となりました 。当時、国民の間で検察改革を求める声がこれまでになく高まりましたが、政権末期のレームダックを恐れた政治指導部は結局、改革よりも検察との融和を選択しました 。その帰結として、金大中大統領の息子2人が任期末期に相次いで検察に逮捕される事態となり、検察は政権に対する影響力を誇示しました 。このように民主化後も検察と政権の力関係は流動的であり、政権による検察掌握の試みと、検察側の抵抗・逆襲が繰り返されました。その度に国民は検察の在り方に強い疑念を抱き、改革の必要性が叫ばれることになったのです 。
検察不信を高めた主要事件と政治的中立性への疑念
盧武鉉元大統領に対する捜査と死(2009年)
2003年に登場した盧武鉉大統領は、在任中から検察との緊張関係が続いた人物でした。盧大統領は就任直後に若手検事との公開対話(通称「검사와의 대화」)を行い検察改革への意欲を示しましたが、この試みはかえって検察組織の強固さを浮き彫りにする結果となりました 。例えば盧政権は権力型汚職捜査の中枢であった大検察庁中央捜査部の廃止を検討しましたが、これに対し当時の検事総長が「내가 먼저 내 목을 치겠다(それをやるならまず私の首を切れ)」と公言して抵抗するなど 、結局在任中に抜本的改革は実現しませんでした。そうした中、2008年に保守系の李明博政権が成立すると、盧武鉉氏に対する捜査が本格化します。2009年、検察は盧武鉉前大統領が在任中に金銭授受の汚職に関与した疑いで取り調べを行い、盧氏は激しい捜査のプレッシャーに晒されました。その結果、盧武鉉氏は2009年5月に自殺という極端な選択をし、国民に大きな衝撃を与えました。盧氏の死については「直接の原因は検察の贈収賄捜査であり、その捜査は果たして正当だったのか徹底的な検証が必要だ」とする指摘もなされています 。実際、多くの市民は盧武鉉の死を「現政権(李明博政権)による政治報復と、それに検察が動員された結果」だと受け止め、検察への強い反発を示しました 。盧氏の葬儀には数十万規模の市民が参列し、追悼と共に検察・政権への抗議の意思を表示する事態となりました。この事件は**「政治的中立性を欠いた検察捜査が一人の元大統領を死に追いやった」**との認識を国民に刻みつけ、以後の検察不信と改革要求の象徴的事例となりました。
国家情報院政治工作事件と朴槿恵政権への不信(2013年)
2013年、保守系の朴槿恵政権下で発覚した**「国家情報院コメント操作事件」**(国情院によるインターネット世論操作疑惑)は、検察の政治的中立性に対する不信をさらに高めた事件でした。李明博政権末期の2012年大統領選挙において、国家情報院(旧・KCIA)の職員らが野党候補を攻撃・与党候補(朴槿恵)を有利にする世論誘導工作を行っていた疑惑が持ち上がり、2013年に検察が捜査を開始しました。捜査過程で検察内部でも混乱が生じ、一部の担当検事が上層部から捜査縮小の圧力があったことを暴露する事態となりました(当時特捜部長であった尹錫悦検事が私は 「사람에 충성하지 않는다(人には忠誠しない)」と国会で発言し圧力の存在を示唆したエピソードが知られます)。最終的に国情院幹部らは起訴され有罪判決も出ましたが、政権中枢による捜査妨害疑惑や、それに屈しない一部検事の存在が広く報じられたことで、「検察内部にも政権の顔色をうかがう勢力がいるのではないか」という疑念が国民に残りました。この事件および朴槿恵政権初期の一連の検察人事(국정원事件を捜査した채동욱検事総長が子供私生児スキャンダルで突然辞任するなど)により、検察の独立性に対する不信感が再び増幅しました。「自らに不都合な捜査を試みる検事総長を政権が露骨に排除した」との見方も強まり、朴槿恵政権と検察の関係は国民の厳しい監視下に置かれることになります。
崔順実・朴槿恵「国政壟断」事件と特別検察(2016年)
朴槿恵政権後半の2016年に明るみに出た崔順実(チェ・スンシル)による国政介入・壟断事件は、韓国現代史上最大級の政権スキャンダルとなり、検察への信頼を根底から揺るがしました。この事件では、朴大統領の長年の親友で公職に就いていない崔順実氏が国家機密文書を閲覧し、財団への出資強要など国政に深く介入していた疑惑が報道で次々に暴露されました 。当初、通常の検察が捜査を開始し崔順実を逮捕(2016年10月)するなど動きましたが、国民の多くは「大統領本人を含む政権中枢の不正を、政権の影響下にある検察がどこまで究明できるのか」と不信を抱きました。このため、朴大統領自身も世論に押される形で11月4日に「特別検察官による捜査を受け入れる」と表明し 、与野党は本件に限った特別検察官法を制定して野党推薦の特검チームを発足させることで合意しました 。特別検察官(박영수特検)は独立した捜査で朴槿恵大統領本人を含む事件の全容解明に努め、朴大統領の犯罪容疑を立証して弾劾・起訴へと至りました。これら一連の過程で毎週数百万規模の市民が参加したろうそくデモ(2016年10月~2017年3月)は、朴槿恵退陣だけでなく**「검찰도 공범이다(検察も共犯だ)」とのスローガンが叫ばれたように、政権の不正を許した検察体制そのものへの怒りも含まれていました。実際、朴槿恵政権下では前述のように政権批判勢力に対する弾圧的捜査が相次ぎ(セウォル号沈没事故の遺族デモ参加者を業務妨害罪で起訴、ネット上の風刺を書き込んだ市民を名誉毀損で処罰するなど)、検察は政権の「法治政治(법질서 정치)」ツールとして市民を抑圧したと批判されていました 。崔順実事件は、そうした検察と政権の癒着**が生んだ惨事との認識が広まり、「もう検察を信頼できない」との世論が決定的となったのです。特に、この事件で通常の検察ではなく独立特検が活躍したことは、「権力絡みの事件では検察の政治的中立を確保できない」という国民の不信を如実に示すものとなりました 。
曺国(チョ・グク)法務部長官候補をめぐる捜査(2019年)
文在寅政権(2017–2022)は、上述の朴槿恵退陣を契機とした国民の強い要求に応える形で、歴代政権でも積年の課題であった**「検察改革(검찰개혁)」を最優先の政策課題に掲げました。特に2019年には、改革の旗手と目された曺国(チョ・グク)氏を法務部長官に起用し、高位公職者犯罪捜査処(日本の特捜検察に相当する新設機関)設置など本格的な改革を推進しようとしました。ところが曺国氏の任命前後から、彼やその家族をめぐる不正疑惑が提起され、検察は長官任命直後の8月末から前例のない大規模捜索と強制捜査に乗り出しました。ソウル大学や私邸など関係先数十カ所に一斉家宅捜索が行われたこの強硬な捜査は、文在寅大統領が任命した新長官に対する“検察の露骨な攻勢”として世間を驚かせました。進歩(革新)系の市民やメディアは「검찰의 쿠데타(検察のクーデター)」とも評し、検察が自身に及ぶ改革を阻止するため政治的動機で過剰捜査を行っているとの批判が噴出しました 。一方、保守系野党や保守系メディアは曺国氏側の不正疑惑を連日大々的に報じ、検察の徹底捜査を支持する世論も形成されました。こうして韓国社会は文字通り「二つの広場」**に分裂し、ソウル市内では毎週末ごとに検察を糾弾し曺国長官を守ろうとする大規模キャンドル集会と、曺国長官の即時辞任と現政権の糾弾を訴える太極旗集会が並行して行われました 。結局、曺国氏は任命からわずか1ヶ月余りで辞任・起訴されましたが、この一連の騒動を通じて韓国国民の多くに刻まれたのは「検察は果たして政治的中立なのか?」という根源的な疑念でした。特に進歩派市民の間では「검찰이 조국을 죽였다(検察が曺国を潰した)」との強い反発が残り、逆に保守派は「現政権が犯罪疑惑を検察改革で覆い隠そうとした」と主張するなど、検察をめぐる評価は真っ二つに割れました。いずれにせよ、曺国事件は検察の在り方が国民的論争の中心に浮上した歴史的事件であり、以後の検察改革の行方にも大きな影響を与えました。
検察改革を求める民衆の社会運動
多くの国民が検察に疑念を抱く中で、検察権力の改革を求める社会運動も継続的に行われてきました。象徴的なのは「キャンドルデモ(촛불집회)」と呼ばれる平和的な大衆集会です。朴槿恵政権末期の2016年~2017年にかけて行われた大規模キャンドル集会では主に大統領の退陣要求が掲げられましたが、その中には前述のように検察の共犯関係を問う声もありました。また2019年の曺国事案の際には、ソウル瑞草洞の検察庁舎前に連週で数十万(主催者発表では延べ100万超 )の市民が集結し、「검찰개혁 촉구・조국 수호(検察改革の促進と曺国守護)」をスローガンに掲げました 。写真に見られるように、参加者たちは「조국 수호, 검찰 개혁(曺国守護・検察改革)」と書かれたプラカードやロウソクを手にし、検察の暴走を抑え改革を断行せよと訴えたのです。これらの集会は自発的に集まった市民によるもので、SNSを通じて組織・動員されましたが、その背後には長年検察に不信感を募らせてきた民意の蓄積がありました。さらに市民団体(参与連帯など)や学界・言論界でも、検察改革を求める提言や声明が繰り返し出されています。例えば市民団体「民主司法改革共同委員会」は朴槿恵退陣後に「検察の既得権を廃し民主的統制を確立すべき」とする要望書を出し、法曹界や法律学者からも「검찰개혁은 더 이상 미룰 수 없는 민주주의의 과제(検察改革はもはや遅らせられない民主主義の課題)」との強い論調が展開されました。このように、民衆レベルでの検察への監視と改革要求は、キャンドル集会を頂点として韓国社会に根付いた動きとなっています。
法制度の変化とメディア報道の役割
検察への不信と圧力を背景に、韓国では制度面でも徐々に改革が進められてきました。前述した特別検察官制度は1999年に初めて立法化され、以後、大統領親族や高官が関与する重大事件では都度「特検法」を制定し独立捜査チームを発足させる慣行が定着しました (例:2003年の盧武鉉大統領側近不正事件、2008年の李明博大統領BBK疑惑、2016年の崔順実国政壟断事件など)。2014年には朴槿恵政権が特別検察官の常設法を制定し、形式的には常設化が図られました 。さらに文在寅政権期には、長年議論されてきた**「検警捜査権調整」が実現し、2021年から警察が一部事件で一次捜査を完結できるようにして検察の捜査権独占を緩和しました。また同じく文政権期の2021年には、高位公職者の腐敗を専属的に扱う「高位公職者犯罪捜査処(公捜処)」が設置されました。これは検察が独占してきた高官汚職捜査を分離する歴史的改革であり、「검찰권력 분散」**の大きな一歩と評価する声がある一方で、保守陣営からは「政権に都合の良い捜査機関を増やしただけ」との反発も招きました 。こうした制度改革の是非は現在も政治的争点となっており、与野党の立場や利害によって評価が分かれています。実際、2022年に尹錫悦(ユン・ソンニョル)前検事総長が大統領に就任すると、今度は検察出身者の政権によって文政権期の改革を見直す動きも出ており、韓国の検察制度はなお過渡期にあります。
メディア報道もまた、検察に対する世論形成に重要な役割を果たしてきました。韓国のメディアは保守・進歩のイデオロギー傾向が強く、検察関連報道でも立場の違いが顕著に現れます。たとえば盧武鉉元大統領の捜査に対しては、進歩系紙『ハンギョレ』『京郷新聞』が検察批判の社説を展開し「政治報復だ」と論じた一方、保守系紙『朝鮮日報』『東亜日報』は盧武鉉氏側の不正を厳しく非難する論調でした 。2019年の曺国事件でも、保守系放送局・新聞は連日のように曺国一家の疑惑を報じて世論を沸騰させ、一方の進歩系メディアやネット言論は検察捜査の過剰さやメディア報道の偏向を批判し、「검찰발 가짜뉴스(検察発フェイクニュース)」という言葉が飛び交う事態となりました 。このようなメディア報道の分極化は市民の受け止めにも大きく影響し、検察不信の感情を一層高める結果にもなっています。同時に、一部メディアは検察内部告発や不祥事をスクープし、検察改革の必要性を訴える役割も果たしました。代表例として2010年のMBC番組『PD手帳』は、地方検事に長年賄賂や接待を提供してきたブローカーの証言(「スポンサー検事」事件)を報じ、複数の検事が起訴・処分される事件に発展しました。この報道により**「検察は腐敗している」**との世論が高まり、検察は一時大きな信頼失墜に見舞われました。また2019年の崔順実・朴槿恵事件ではJTBC放送局のスクープによって決定的証拠(崔順実のタブレットPC)が発見され、検察捜査の糸口が掴まれるなど、メディアが検察を動かした面もあります。要するに、メディアは検察への批判と監視を行う「チェック機関」として機能する一方、時に政治的バイアスを帯びて検察を擁護または攻撃するプロパガンダ装置にもなりうる存在であり、これもまた国民の検察観に複雑な影響を与えてきたのです。
おわりに: 民衆の不信と反発がもたらしたもの
1987年の民主化以降、韓国社会における検察権力に対する民衆の不信と反発は、累積する事件と経験を通じて強固なものとなってきました。検察が強大な権限を握る韓国において、その権力行使が公正であるかどうかは常に国民的関心事であり、特に政治的に敏感な事件では検察の動きひとつひとつが厳しい目で見られてきました 。盧武鉉元大統領の悲劇的な死は**「政治検察」への怒りを呼び起こし、崔順実・朴槿恵事件は検察への信頼を失墜させ、曺国事件は検察改革の是非をめぐって社会を二分するほどの衝撃を与えました。それらの過程で、市民は繰り返し街頭に出て声を上げ、メディアや専門家も含めた幅広い層が検察権力のあり方を問い直す動きを見せました。その結果、一部の改革(特別検察官制度、公捜処設置、捜査権調整など)が実現し、昔に比べれば検察に対する外部牽制は強まっています。しかし同時に、検察改革は与野党の激しい政争の火種ともなっており、政権交代のたびに方針が揺れ動く難しさも露呈しています。言い換えれば、検察に対する不信と反発は韓国民主主義の発展における「未完の課題」**であり続けているのです 。韓国の民衆は長年にわたり「검찰을 개혁하라(検察を改革せよ)」との声を上げてきました。それは単に一機関の問題に留まらず、政治権力と法治主義の関係、ひいては民主主義そのものの質に関わる重要な問いかけでした。2020年代に入った現在も、検察改革をめぐる議論は続いており、権力機関のあるべき姿を求める民衆の眼差しは衰えていません 。1987年の民主化以降に形作られた検察への不信とそれに基づく民衆の反発は、今なお韓国社会の変革を推し進める原動力の一つとなっていると言えるでしょう。
参考文献・出典:(韓国語文献を中心に出典を示す)
- 한상희「검찰은 어떻게 무소불위 권한을 가지게 되었나 – 검찰공화국 탄생의 역사」『참여사회』2019年11月号
- 홍성태「노무현을 죽인 ‘新5적’은 누구인가?」『프레시안』2009年6月4日
- 「【韓国】民間人国政介入疑惑事件に係る特別検察官法」国立国会図書館調査局『外国の立法』2017年1月
- 조국백서 제작진『검찰개혁과 촛불시민』オウルドゥ(북), 2020年
- 경향신문「“검찰개혁” 대규모 촛불집회…주최 측 “150만~250만명 참가”」2019年9月29日
- 연합뉴스「서초동서 ‘검찰개혁·조국수호’ 대규모 촛불집회…”최후통첩”」2019年10月12日
- Neil Chisholm “대한민국 검찰제도의 문제점과 개혁방향: 비교법적 차원에서 본 검찰조직 및 그 독립성,” SSRN 논문, Feb. 2020