日本のSNSでは時折、こんな主張を見かける。
「韓国は原爆投下で日本が敗戦したから独立できた。
つまり棚ぼたで解放された国だ」
さらに、
「朝鮮人被爆者も数万人いた。」
と付け加える人すらいる。
これらの言説を目にするたびに、私は強い違和感と怒りを覚える。
なぜなら、この二つの主張には共通して
「日本の加害の歴史」を都合よく抜き、 植民地支配に抵抗した韓国人の努力を丸ごと消し去る構造
があるからだ。
この記事では、感情ではなく事実に基づいて、
この問題を整理してみたい。
■1. 「棚ぼた独立」論が踏みにじるもの
朝鮮半島の人々が1910年から1945年まで黙って支配され続けた、と思っている人がいる。
しかし事実は全く逆だ。
- 1919年の3・1独立運動
- 満州・中国での武装抵抗(義烈団、朝鮮義勇軍など)
- 韓国臨時政府の外交活動
- 日本国内での地下活動や文化運動
韓国の独立運動は国内・国外・武装・非武装の多層構造で、
長期にわたり続いた。
その蓄積があったからこそ、
米軍は南朝鮮を軍政下に置いたが、同時に“朝鮮人による自治政府の樹立”を前提に行政の主役を朝鮮人に任せた。
これは独立運動の歴史が国際社会に認識されていたからであり、
朝鮮が日本の敗戦の“棚ぼた”で独立したという説明は歴史的に誤りである。
もし本当に無抵抗で、主体性のない社会だったなら、
米軍はもっと短絡的な軍政を敷いていただろう。
つまり、朝鮮半島の独立は
「敗戦の結果として自動的に転がり込んだもの」ではなく、 独立を求める運動が国際社会に認識されていたから成立した
という筋道がある。
棚ぼたなどでは断じてない。
■2. 朝鮮人被爆者は「日本の被害者」論のための道具ではない
次に、「朝鮮人も被爆した」という主張について。
それ自体は事実だ。
広島や長崎には数万人の朝鮮人が動員されており、多くが犠牲になった。
しかし、ここで決定的に重要なのは次の点だ。
なぜ朝鮮人がそこにいたのか?
理由は一つしかない。
日本が植民地支配のもと、朝鮮人を徴用・徴兵・強制動員したからだ。
三菱重工などの軍需工場には朝鮮人労働者が多数集められていた。
自ら望んで日本に来たのではない。
つまり、朝鮮人被爆者の存在が示しているのは、
「日本もかわいそうだから同情してほしい」
ではなく、
「日本の加害構造の中で、最も弱い立場の人々が最大の被害を受けた」
という現実だ。
被爆者を“日本の被害者性”を補強するために利用するのは、
歴史の因果関係を逆転させる危険なロジックである。
■3. 因果関係を整理すれば、日本の責任は明白
感情論ではなく、因果関係だけを並べる。
- 朝鮮を植民地化したのは日本
- 強制動員したのは日本
- 戦争を始めたのも日本
- 空襲も原爆も、その戦争の結果
- 弱い立場の朝鮮人が最大の犠牲になった
これを「全部日本が悪い」と感じるのは、
道徳ではなく歴史構造の理解として正しい。
もちろん現代の日本人が個人として責められるべきではない。
しかし、歴史の中で誰が何をしたのかは変わらない。
■4. この問題は「日韓どちらの味方か」という話ではない
これは日本人 vs 韓国人の対立構造ではなく、
歴史の筋道を正しく見つめられるかという問題だ。
過去の加害を正確に理解することは、
日本の尊厳を傷つける行為ではなく、
むしろ成熟した社会として不可欠な態度だと思う。
私は韓国に住み、日本人として仕事をしながら、
両方の社会の空気を肌で感じている。
その立場から見ても、
「棚ぼた独立」論や「朝鮮人被爆者=日本への同情材料」論は、
日本社会自身の歴史理解を貧しくするものだと感じる。
■結び――歴史を矮小化する言説に流されないために
歴史認識は国民感情に影響する問題だが、
SNSでよく見られるような軽率で選択的な言説は、
議論を不毛にし、尊厳ある対話を難しくしてしまう。
朝鮮半島の独立も、原爆投下も、
その背景には複雑で痛ましい人間の歴史がある。
それを単純化し、
都合のいい形に歪める言説には
これからも断固として異議を唱えたい。