韓国でお葬式に行ってきた【日本婿あつしの韓国生活】

あにゃーせよ(안녕하세요)!妻を追って韓国移住したあつし(@atsushiseoul)です。今回は韓国で初めてお葬式に行ってきたので記事にしました。ご参考までにどうぞ。

韓国でお葬式に行ってきた

・はじめに

  • 韓国での初めてのお葬式
  • 故人との関係

・お葬式について

  • 場所:大邱(テグ)の病院地下葬式場
  • 日時:23
  • 参加者:ほぼ家族のみ。コロナ時代を実感
  • 内容:ひたすら待機のお葬式・涙涙の火葬場・自然へと還る樹木葬

   1日目:突然の訃報・飛び乗るKTX・式場泊

   2日目:徹夜明けの喪主たち・涙の入館・ひたすら待機・親戚との会話・充実した食事

   3日目:早朝の發靷(出棺)・記憶を頼りに進む山中・樹木への散骨・道端での食事

・文化の違い?印象的だったこと

  • 宗教?
  • 「忌引き」について
  • 「泣くこと」について

・韓国で初めてお葬式に参加して、次回から準備したほうがいいと思ったもの

  • 事前の確認:家族の連絡先・お金・忌引き制度・お墓の確認
  • 心の準備:宗教・遺言・外国で死ぬということ

・はじめに

韓国での初めてのお葬式

韓国でお葬式に行ってきた。僕にとっては初めての韓国でのお葬式である。

お葬式と言うのは人が亡くなった時に行うものであるから、誰にとっても悲しいイベントである。韓国人の妻を追って韓国に移住した日本人婿の僕にとっても、色々と大変だった。日本とは違うお葬式文化や、密な親戚同士の人間関係を2泊3日でみっちりと経験することになった。ある意味では貴重な経験をしたと言える。あまり考えたくないお葬式というイベントではあるが、比較的精神的打撃が少ないうちに、今回経験した韓国でのお葬式の流れを記録に残し、将来の自分や、韓国でお葬式を出すことになるかもしれない方々の参考になればと思い筆を執った次第である。

故人との関係

私は韓国に住む日本人男性である。韓国人の妻を追って韓国に移住した、日本人婿である。今回亡くなったのは妻の父方の祖母に当たる方であり、妻にとっては存命の唯一の祖父母であった。

享年95歳の大往生であり、半年ほど前の今年の旧正月にお会いしたときは多少痴呆の気はあったものの矍鑠としておられた。高齢の方が亡くなるときというのは、急に容体が悪くなるものらしい。が、それまで大きな病気も無くお元気でいらしたというのは不幸中の幸いであった。

今年95歳ということは、生まれてから成人するまで日帝強占期を過ごしたということだが、痴呆のためかそもそも日本語教育を受けなかったためか、あるいは他の深い理由かは分からないが、日本人婿の僕と日本語で会話した記憶はない。故人は若くして夫と死別している。30歳ごろに夫に先立たれた故人は、妻の父を含む3人の子供を女手一つで育てていくこととなった。韓国戦争が終わったばかりの混沌とした時代である。3人とも立派に成人されたが、その苦労は想像を絶するものがある。晩年は孫にも恵まれ、特に私の妻は大変可愛がってくださったようである。妻が大学に合格したときは家で踊り倒したということだ。また、愛煙家でもあり、亡くなる直前まで煙草を吸っていたにもかかわらず、医師によると肺はとてもきれいであったという。激動の時代を生き抜いた人らしい、生命力にあふれる方だったようだ。

宗教的には無宗教である。が、息子夫婦(=私の妻の両親)が近年ローマカトリックに入信したこともあり、亡くなる直前に洗礼を受けることとなった。洗礼名マリア。

・お葬式について

今回僕が参席した、韓国でのお葬式について書いていこうと思う。

ところで、世の中には文化人類学という学問があり、人間社会を客観的に観察・研究する知の体系があることは僕も知っている。そういった学問の徒であれば、僕が今回経験したような異国でのお葬式のようなイベントについても深い考察ができるのだと思う。が、残念ながら無知なる一移民に過ぎない僕にとっては、5W1H及びタイムラインを掲示するのが精いっぱいである。あくまでも僕の経験した内容ということをご了承いただければ幸いである。

場所:大邱(テグ)の病院地下葬式場

今回のお葬式は、妻の実家のある韓国南部、慶尚南道に位置する大邱(テグ)のある病院地下の葬式上で執り行われた。

お葬式は韓国語では葬礼式(장례식)といい、葬式場は葬礼式場(장례식장)という。単語は似ているが、その意味するところはずいぶん日本と違う。まず場所からして、病院の「地下」に葬式場が備わっていることを僕は知らなかった。

不幸な出来事であるお葬式という行事の特性をふまえ、今回はあまり写真を撮らなかった。したがって葬式場の雰囲気は文章でお伝えする他ないのだが、まず病院の地下にある。入り口にはお悔やみの花が飾られており、そこで靴を脱いで入場する。

葬式場は大きく二つの場所に分かれている。一つは入り口に近い、広い空間であり、これは完全に食事をするためのスペースである。床に座って食事をする韓国式食堂、たとえば普通の街中のカルグクス(韓国式うどん)屋さん等を想像していただければいいと思う。実際に食事も飲酒もここで行う。

葬式場を構成するもう一つの場所は、祭壇のある小さな部屋である。前述の食堂のようなスペースのすぐ隣にあるものの、壁によって隔てられている。ドアは無い。ここは日本人でも想像がつくと思うが、まず白い棚に故人の写真が供えられている。また、果物のようなお供えもある。そして、お香がある。お香の上げ方は日本とほぼ同じだ。喪主(今回は故人の息子)と家族が弔問客を迎え礼を受け、涙ながらに祈りを捧げるのもこの部屋である。 賻儀金(プイグム)と呼ばれる香典もこの部屋の箱に入れる。喪主は基本的にこの部屋にこもり、食事の時及び弔問客の見送りの時以外は出てこない。

日時:2泊3日

葬式場が病院の地下にあるのも驚いたが、葬式が2泊3日と長いのにも驚いた。日本では不幸があると、訃報を打って葬式をあげるとなるのは一緒だが、ほとんどの場合は一日で終わると思う。

だが、韓国では2泊3日でお葬式をあげるのが一般的であるらしい。今回は故人に不幸があったのが火曜日だったので、火曜日を起点として木曜日までお葬式を行った。

2泊3日の間何をするのかと言うと、基本的には喪主を中心として個人の家族が葬式場に常駐し、弔問客たちを迎え、食事でもてなす。

喪主は、2泊3日の間、一睡もしない。上述した祭壇のある部屋にこもって、お香を絶やさないようにするのである。さらには、喪主は喪服を脱がない。つまり睡眠もシャワーもとらず、故人の冥福を祈るために2日間徹夜で香を上げ、弔問客をもてなすのである。ただでさえ傷心の喪主にとっては辛い時間であるはずだが、大事な人を喪った直後という最も精神的に危うい時間帯に人々と会い続けるのはそれなりに合理的なのかも知れない。

参加者:ほぼ家族のみ。コロナ時代を実感

喪主は2泊3日で弔問客に会うと書いたものの、今回のお葬式では家族以外の弔問客はほとんど無かった。その理由はコロナ(COVID-19)である。韓国でもコロナ対策で、大人数の集会の自粛が呼びかけられており、お葬式も例外ではない。そのため、今回はわたくしども家族の他には、故人が亡くなる直前に急遽入信したローマカトリックの神父さん一名以外は誰も弔問しなかった。葬式場の大きな食堂も、人が集まればこそ役に立つ。また、傷心の喪主を慰め、励ますという意味でも2泊3日の長丁場の葬式には弔問客の来訪が欠かせないと思うのだが、コロナのため人々が来ないために葬式場が余計広く、日程も余計長く感じられたものである。

内容:ひたすら待機のお葬式・涙涙の火葬場・自然へと還る樹木葬

改めてお葬式の具体的な流れを書いていこうと思う。タイムライン形式で書いていくので、長いと思ったら読み飛ばしていただいて構わない。

1日目:突然の訃報・飛び乗るKTX・式場泊

故人に不幸があったのは平日の火曜日だった。妻も僕も仕事中ではあったが、即座に勤め先に忌引きの申請を行い、受理された。翌日と翌々日の水曜木曜の二日間の忌引きである。

そもそも、妻の祖母の具合が良くないということは、前週の秋夕(チュソク)で大邱に行ったときに聞いていた。もともとチュソクでは家族親戚が一堂に会し、近況を共有したりするものだが、今回はコロナもあり、妻の一家とだけ会ったので何となく祖母の印象が薄かった。だが、妻はチュソク後も義母から、「そろそろ危ない」という話を聞いていたようだ。

最初僕は忌引きが一日分で十分かと思ったが、妻に言われて二日分申請することになった。正直、韓国でのお葬式が2泊3日も続くことを知らなかった僕は、「訃報を打ってからお葬式が始まるまでのタイムラグもあるし、長めに忌引き申請をしておけということかな」ぐらいの認識でいた。

妻とソウル駅で待ち合わせ、駅のプンシクチプ(粉もの料理屋)でうどんとキンパプを掻き込む。そのままKTXに飛び乗り、先週チュソクで行ってきたばかりの大邱に向かった。

大邱に到着し、バスを乗り継いで病院に到着すると、すでに夜であることもあり受付が閉まっていた。裏入り口から中に入ると、階段があり、そこを降りていくと葬式場があった。僕はこの時初めて韓国の葬式場は病院の地下にあるものと知った。つまり、韓国の葬式の風習について何も知らずに着替えだけ持って葬式場に来たのである。

靴を脱いで葬式場に入ると、食堂のような空間が広がっている。何故か小さい子供たちが騒ぐ声がすると思ってみると、妻の従妹たちの子供だった。すでに葬式は始まっており、妻の従妹たち(この人たちも故人の孫娘である)が弔問に来てくださったのだ。まずは祭壇のある部屋に入り、妻と一緒にお香を上げ、ぎこちなく故人の祭壇に対して礼をする。ついで義父母に対しても礼をする。食堂スペースに戻り、ひとしきり親戚の人たちに挨拶しながら改めて夕食を摂った。

親戚たちは帰り、義父母と僕たち夫婦だけが葬式場に残された。義父母は僕たちに、シャワーをして寝なさいと仰ったため、「お義父さまからお先にどうぞ」と言ったところ、喪主は葬式の二晩の間、喪服を脱いではいけないのだという。のみならず、喪主は寝てもいけなくて、二晩の間ずっとお香を絶やさないように祭壇の部屋にこもるということだった。ただでさえ、大事な人を喪って傷心状態の喪主に不眠不休でいさせて大丈夫かと心配になったが、考えてみると一番悲しい時間帯なので思いっきり悲しい気分に浸るという意味では合理的なのかもしれない。その間ずっと弔問客を迎えるシステムもある。家族や友人知人に慰めても貰える。故人との気持ちに区切りをつけるという意味ではよくできているのかも知れないと思った。

そんなことを考えながら、葬式場の別室にてシャワー(敷設されていた)を浴びて着替えて布団を敷いて寝た。

2日目:徹夜明けの喪主たち・涙の入館・ひたすら待機・親戚との会話・充実した食事

故人には大変申し訳ないが、平日の仕事終わりにKTXに飛び乗って300KM近く移動した上に異文化の色彩が濃厚なお葬式会場に突入した僕はぐっすり眠った。朝になって起きると、昨夜よりも憔悴した感じの義父母が食事を摂ろうと言う。言われるがままに朝食を摂る。食堂なので、厨房が敷設されている。例の、祭壇のある部屋のすぐ横に厨房スペースがある。そこからごはんと、ソゴギクッと、いくつかのナムルを取ってきてみんなで食べた。ソゴギクッは牛肉ともやしと大根の入ったキムチチゲスープの汁物で、こんな時に何だがとても美味しかった。

食事後、妻も喪服に着替える。僕は黒いスーツに黒ネクタイという万国共通の男の喪服なので特に異国情緒は無いが、妻は黒いチマチョゴリ(普通の服の上から着るようになっている)に、白いヘアピンをして韓国女性の伝統喪服に変身した。しばらくは何もせずに弔問客が来るのを待つ。昨日来ていた妻の叔母(故人の娘)が再合流した以外訪問客は無かった。今年はコロナのせいで、人々は葬式さえも自粛しているという現実が身に堪えた。

そして午前10時、入棺の時間となった。葬式場のすぐ隣にある霊安室に移動する。故人の亡骸と対面する。僕は旧正月や秋夕などで数回お会いしただけだが、それでも胸に迫るものがある。入棺は、故人の亡骸を丁寧に紙や布で包むことから始まる。その道のプロが熟練の技で、てきぱきと動いて故人を送るための服飾に包んでいった。まずは顔を紙で覆い、次いで布のようなもので完全に隠す。それから体も何枚もの紙や布で包み上げ、しっかりと紐で固定する。何となく、魂を高級ラッピングするような感覚であった。しかしながら、いざ故人のお顔を布で隠すのを目の当たりにすると、どうしても人が亡くなったという事実が胸に迫る。故人の娘にあたる義理の叔母と、故人の息子の嫁にあたる義理の母は、今までの明るい態度から一変して、感情を爆発させて号泣していた。故人は、30歳過ぎで夫を亡くし、その後女手一つで子供を3人育て上げた人である。日帝強占期、韓国戦争、その後の経済的困窮と、韓国の動乱時代を必死に生きてきた人であるだけに、遺された家族には万感の思いが去来したことだろう。故人の息子である義父は寡黙な男ではあるが、この時ばかりは大泣きされていた。もちろん妻も泣いていた。僕も思わずもらい泣きしてしまう。

気を取り直して、義父母がローマカソリックのしきたりにのっとり、聖書から有難い祈りの言葉を朗読した。義父母は、数年前にローマカソリックに入信した。また、故人も、亡くなる直前に病院で洗礼を受けている。そのため、棺にはハングルで「マリア」という洗礼名を縫い付けた布が被せられ、霊安室の遺体保管冷蔵室に大事に収められた。ここで故人は明日早朝の出棺を待つ。

入棺が終わると、またもや待機の時間となる。本当にコロナのせいで、誰も来ない。何となく昼食の時間となり、またしても美味しくいただく。故人には申し訳ないが、生きている人間は食べなければならない。昼食後も待機。ひたすら待機。義父母が、「君たちはちょっと横になりなさい」と言ってくださる。お言葉に甘えて別室にて横になる。というかまたしても少し寝た。故人には申し訳ないが、生きている人間は休まなければならない。

昼食(そして昼寝)後にもほとんど人が来なかった。一度、ローマカソリックの聖堂の神父さんが、代表で弔問に来てくださった以外は、家族以外は誰も来ていない。その家族さえ、夕方になってきてくれた親戚のグループが、病院の入り口(そう、葬式場は病院の地下にあるのだ)にてコロナ対策のための発熱チェックにひっかかり、平熱以上の熱があるということで、入り口のところで追い返されていた。本当にコロナという奴は…

夜の時間になって、ようやく複数の親戚が来る。この人たちは故人の孫にあたる人たちで、30代から40代の人たちである。妻のきょうだいの色々な人生相談に乗ってくれたり、僕たちの結婚生活の話をしたりした。何となく女性が多かったので、女の人生は自分も働き、子供を育て、家族に人生を捧げるのが本当に大変だ、という話で盛り上がる。『82年生まれ キム・ジヨン』的な世界である。

妻の家族は、みんな大邱の周辺に住んでいる。大邱というのは韓国南部の慶尚南道というところにあるが、この慶尚南道というのは韓国の中でも独自の文化があることで知られる。有名なのは方言。強烈な訛りがある。イントネーションがソウルと全く違う。日本語で言ったら東京弁と大阪弁くらい違う。僕はソウルでは言葉の聞き取りにほとんど不自由しないが、大邱に来ると韓国語リスニング力が半分くらいに落ちる。その大邱訛りの韓国語で、普段付き合いのない(=よく知らない)義理の家族の近況報告を3~4時間ほどするのに付き合っているうちに疲れてしまった。疲れが顔に出たのか、親戚の一人が、「婿殿、少し休まれては如何か」と仰って下さったので、お言葉に甘えて別室で休憩した。ちなみに葬式場は無料Wi-Fi完備だった。故人には申し訳ないが、生きている人間はツイッターをしなければならない。

3日目:早朝の發靷(出棺)・記憶を頼りに進む山中・樹木への散骨・道端での食事

明けて三日目の朝。例によって僕はぐっすり眠ったが、喪主である義父は二晩徹夜した後である。早朝4時半にみんなで起床し、荷物を整えてから5時半に發靷を行った。

發靷(はついん)は、韓国語である。パリンと発音する。出棺のことである。發靷は、棺の前に屏風と、簡易の祭壇を設けて行う。發靷は霊安室で行うのである。祭壇には例によってお香と、果物の供え物がある。一人ずつお香を上げたうえで、全員で礼をする。これを祭祀(チェサ)と言うらしい。チェサが済んだあと、男たちで棺を担ぎ、火葬場に向かうための大型観光バスに一旦棺を乗せる。棺は男四人で担ぎ、僕は右後方を担当した。その後故人の写真を抱えてバスに乗り込み、火葬場へと向かった。

二日ぶりに外に出ると、秋の早朝のピリッとした空気が出迎えてくれた。今日はいい天気になりそうだ。火葬場までの移動は、大型観光バスに乗って行った。今回はコロナのためそんなに人数がいなかったものの、本来であれば親戚一同集まっての移動ということで、こういう大規模な移動手段があるのだろう。

火葬場に到着する。すでに他の葬式から来た人たちが列を成している。「アイゴー」と泣きながら火葬場に入っていく遺族たちを見て、改めて気が落ち込む。我々もバスを降りて火葬場に入場する。火葬場は、とても事務的だった。棺を台車のようなものの上にそっと置いたところ、制服を着た火葬場の職員の若い男が、「それでは最後にご挨拶ください」と言う。みんなで改めて大泣きしてお見送りの挨拶をする。すると、職員が、「それでは火葬場へ移動させていただきます」と宣言し、台車を押して隣の部屋に行ってしまう。別の職員が「皆様、モニターをご覧ください」と言うので目を上げると、テレビモニターがあり、そこに火葬施設の入り口が映し出されていた。「それでは火葬させていただきます」と職員が宣言し、棺が火葬施設に入っていくのをみんなで見送った。と思うと、またしても職員が「それではこちらにご案内いたします」といって、1時間半ほどの火葬の間の待機部屋まで連れて行ってくれた。

火葬が済むと、お骨をもって再び観光バスに乗り込む。發靷の時は大きな棺を男4人で抱えたものだが、お骨は両手に収まってしまう大きさだ。どうしても、命とは儚いものだという辛気臭い気持ちになる。バスが再び動き出す。

故人の埋葬は、樹木葬だった。樹木葬というのは、先祖代々のお墓(土を盛り上げたもの)の隣にある木の根元に、穴を掘ってお骨を撒き、改めて土をかぶせるというものだ。大邱から車で一時間ほどのある山中に移動しての埋葬なのだが、この移動は義父(故人の息子)の記憶を頼りに行った。ために、途中で一度車を立ち止まらせて道を思い出すというプロセスが発生した。

樹木葬の場所は、のどかな田園地帯の山中であった。朝から好天に恵まれ、義叔母(故人の娘)は、「いい天気の日にオンマを見送れてよかった」と呟いていた。思わずもらい泣きしそうになる。バスが田園の小道に急に止まる。そのままみんなで義父について山の中に入っていく。えらく急斜面の山を20メートルほど登ると、丸い盛り土のお墓が二つある空間に出た。何となく小さな古墳を連想した。義父が、お墓のそばの木の根元をスコップで掘り返す。そこにお骨を撒き、再び土で埋める。埋めた土の上を、家族みんなで歩いて踏み固めた。その後義父母がローマカソリックのお祈りを捧げた。そして一人ずつ、最期のお供え物としてお酒(ソジュ)をコップにそそぎ、一杯ずつ土にかけて礼をした。親戚の一人が、故人が好きだった煙草をお香の横に置いた。こういうのは万国共通らしい。

礼を終えた後、山を降りて観光バスまで戻り、バスの前に茣蓙を敷いてちょっと早いお昼ご飯を食べた。葬式場の厨房でお弁当を作ってくれたらしい。改めて、いい天気だったのが印象に残っている。親戚たちと最後の会話を交わし、今回のお葬式を無事に終えることができた。

・文化の違い?印象的だったこと

宗教?

宗教について。わたくしども夫婦は無宗教である。それどころか酒は飲む、肉は食う、格闘技や投資は大好きという、神が裸足で逃げ出すタイプの夫婦であるが、上述の通り義父母はローマカソリックの信者になった。そのため故人も亡くなる直前にローマカソリックの洗礼を受けたらしい。

調べたところクリスチャンの場合、チェサでの礼などは立式で済ませるということらしいが、故人の場合はほとんどクリスチャンだった時期が無いせいもあってか、伝統的な韓国の葬式となった。なので、どちらかというと儒教式の古い礼節に則ったお葬式だったと思う。喪主が故人を偲んで二晩眠らずにお香を守ることや、喪服を脱ぐのが許されないこと等は、東アジア人の感覚的にはよく理解できる。

「忌引き」について

故人には申し訳ないが、生きている人間は金を稼がなければならない。富裕層ならぬ労働者たるわたくしども夫婦も例外ではなく、急な不幸のあった今回、勤め先に翌日からの忌引き申請を急遽行った。

この忌引きについて、韓国の職場ではチンガとウェガで対応が違うことがあるらしい。チンガは親家と書き、「父方の親戚」のことである。ウェガは外家と書き、「母方の親戚」のことである。そして、今回のお葬式で聞いた噂では、父方の親戚の葬式は忌引きが認められるが、母方の親戚の葬式は忌引きが認められないことがあると聞いた。

それで言ったら僕なんて血のつながりのない故人(妻の祖母なので)の葬式の忌引きが何故認められたのかよく分からなくなるが、何となく父方の親戚こそ本当の親戚とされる韓国らしいと感じた。韓国は夫婦別姓だが、子供たちは基本的に父親の姓を継ぐ。

「泣くこと」について

今回のお葬式では、喪主は故人の息子(妻の父)であった。故人の娘(妻の叔母)や、故人の息子嫁(妻の母)も出席した。女性陣は、長い長い葬式の間基本的には元気そうだったし、明るくお喋りをしているように見えた。だが、弔問客が来たりすると、特に久しぶりに会う親戚であることもあり、祭壇の前に行く度に泣いていらした。もちろん、入棺出棺それぞれでも大泣きされていた。また、火葬場で他の家族たちの様子を見ていても、やはり大泣きされていた。やはり家族との別れと言うのは重い。日本では何となく大人が人前で大泣きするというのは、たとえお葬式でもあまり見かけないが(すすり泣きなら多い)、本来このくらい大泣きするのが自然だと感じた。

・韓国で初めてお葬式に参加して、次回から準備したほうがいいと思ったもの

僕は外国人でもあり、年齢が30代とそれなりに若いのもあって、今回が韓国で初めての身内のお葬式となった。なので色々と知らないことばかりであったが、次回からは準備しておいた方がいいと思ったものを整理しておきたい。

事前の確認:家族の連絡先・お金・忌引き制度・お墓の確認

まずは事前の準備である。これは、事務的なものが含まれる。

家族の連絡先は常に把握しておこう。当たり前かもしれないが、これが出来ていないと、かなり大変なことになると思った。「あれ?親戚のあの人の電話番号何だっけ?」みたいになると不便だし、第一相手にも失礼だったりする。日ごろから電話番号を掌握しておき、できればたまに5分くらいの短い電話をして顔を繋いでおこう。

お金について、今回のお葬式は400万ウォンほどかかったと聞いている。これは葬式場代だけなのか、火葬や移動まで含まれているのかは残念ながら確認できなかった。が、最低でもこのくらいかかるということは知っておいた方がいいかもしれない。いざというときに葬式も出せないとなるとこれまた悲しいので。

勤め人の場合は忌引き制度も日ごろから把握しておこう。上述した父方母方どちらの家族でも忌引きが使えるのか、使えるなら何日まで使えるのか、確認しておけば慌てることは無い。特に、2泊3日がデフォルトであるなら最低でも二日は勤め先にご迷惑をおかけすることになってしまうので、前もって確認しておこう。もちろん、何日の間お葬式を出すのかについてはその都度確認してから忌引きを申請しよう。

お墓がどこにあるのかはしっかり確認しよう。今回、故人は慶尚南道の田舎の山の中に埋葬されたわけだが、本当に何にも標識がない山の中だった。どの盛り土がどこの家のお墓なのか、日本みたいに「何々家の墓」と書いてあるわけでは無いので、関係者以外には分からないだろう。だからこそ先祖の墓を守るという概念が生まれるのだろうけれど。もっとも、納骨堂やその他宗教施設に埋葬する場合はまた違うかも知れない。

心の準備:宗教・遺言・外国で死ぬということ

辛気臭い話が続くが、お葬式について語る上ではこれは避けて通れない。

そもそも家族もしくは自分が何か宗教はあるのか、お葬式はどういうスタイルでやってほしいのかは事前に確認しておこう。わたくしども義父母の場合は最近ローマカソリックに入信したので、韓国伝統葬式とカソリックのミックスとなったが、人によって全然違うものと思われる。

遺言・そして外国で死ぬということについて。この記事は、結婚などで韓国人と家族になって韓国でお葬式をあげる日本語人を対象に書いている。多くの場合、日本で生まれて異国である韓国で死ぬということについて、かなり真剣に考えた上での移住だと思われる。まさに釈迦に説法のようだが、改めて自分が外国で骨をうずめるということについて考えよう。骨は韓国に埋めてほしいのか。それとも日本にも半分持っていく(そういうことが出来れば)のを希望するのか。遺言は誰宛てに、何語(韓国語?日本語?その他?)で書くのか。改めて考えてみよう。

以上、長くなったが韓国でお葬式に行ってきた話をこれにて終えることとする。

Published by Atsushi

I am a Japanese blogger in Korea. I write about my life with my Korean wife and random thoughts on business, motivation, entertainment, and so on.

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