韓国のコロナ対策は「ブレーキの利き」がいい

日本のコロナ状況について言及するのは、これが最後になる。 半年ほど前までは、自分の祖国でもあり、韓国の永遠の友邦でもある日本のコロナの状況を心配していた。 しかしながら、誇り高い日本人は、外国からの助言などは必要ないようなので、妻を追って韓国に移住した日本人の私が何を言おうと聞く耳を持たないことがはっきりしたので、今回を最後にもう言及することはないだろう。 代わりに韓国のコロナ状況について語ってみたいと思う。が、あまり枝葉末節に入って行っても仕方ない。自分は医学者でもジャーナリストでもない、ただの結婚移民に過ぎないので、生活者としての実感をここに書いてみたい。 韓国におけるコロナの対策は、経済学風に言うとelasticityがあると思う。 elasticityは日本語では「弾力性」と訳されるらしいが、感覚が伝わるかどうか不安である。ある政策にelasticityがあるとき、その政策にはより明らかな成果が見えるのである。 elasticityを別の言葉で言い換えてみよう。韓国のコロナ対策は、「ブレーキの利き」がいいと思う。決して、コロナ新規患者がゼロになったわけでは無い。たびたび小流行を繰り返している。だが、そのたびに、「しっかり対策をすれば2週間後には感染者が激減しているはずだ」という安心感に近い感情がある。 韓国では、政府のコロナ対策本部がある。疾病管理庁という。元はそれほど大きな部署ではなく、疾病管理本部という扱いだったが、2020年9月に独立した省庁となった。この経緯は、韓国在住のジャーナリストの徐台教氏の記事に詳しい。  https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20200911-00197832/ 疾病管理庁やその前身たる疾病管理本部は、今年の1月から八面六臂の大活躍だった。初期の中国からの入国者・接触者のトラッキング、マスクなどの効果に関する調査と宣伝、南部の都市である大邱での大流行の即座の鎮圧、数えればきりがない。 今年の4月には国会議員選出の選挙があった。大邱での大流行が落ち着いて間もない時期に、選挙という人と人が交わりあうイベントを、全国規模で行うことにかなりの不安があった。が、ふたを開けてみればほとんど影響がないことが明らかになった。 また、8月には光復節に極右団体が大規模集会を行ったこともある。この時には極右が、当局の監視にも関わらずなりふり構わず振り切って集会を開いたのだが、ここでも一時拡散の兆しがあった。疾病管理本部はこの時、改めてコロナの脅威を盛んに社会に対して呼びかけたところ、2週間後にはまた落ち着きを取り戻した。 9月末には韓国人の重要な伝統イベントの一つである、秋夕(チュソク)というものもあった。これは旧暦のお盆のようなもので、親戚一同が集まるための連休だったが、ここでも政府が「今年は集まらないほうがいいですよ」ということを陰に陽に言い続けた結果、秋夕でのコロナ再拡散は防がれた。 こうした政府のリーダーシップと、それに伴って(2週間という)時間差で鎮圧がなされるという繰り返しが、韓国社会全体に、「たとえ再拡散の兆しがあっても、しっかり隔離や自制をすれば抑え込める」という自信のようなものを与えているように思う。 韓国にとっても、世界の他の全ての国と同じように、コロナは未知の脅威である。だが、同じ未知の脅威であっても、それに立ち向かう人々の心持ちによって、生まれる結果が極端に違うようだ。 中国は、この問題のウイルスの大流行が最初に確認された国である。人口も世界で一番多い。しかしながら、徹底した検査と隔離とロックダウンによって、すでに事実上感染者をゼロにするところまで来ている。台湾も、ベトナムも、ニュージーランドも、同様に徹底した対策によって、自分たちの社会での感染者をゼロに近い水準で抑え続けている。 一方、日本やアメリカでは、そもそもコロナを封じ込めるべきかどうかについての議論を、いまだに続けているらしい。封じ込めが可能であることが、上記のような諸外国の例からすでに明らかになっても、そういう議論をしているらしい。とても不思議である。 コロナを完全に抑え込み続けている台湾では先日、性的少数者のパレードが行われたという。同性婚をアジアで初めて合法化した台湾が、コロナを完全に抑えているのは、決して偶然ではないと思う。未知の脅威に対する際に最も必要なのは、自分の知らない領域があると虚心に認める態度である。無知の知、とも言う。そうした知的態度を維持するのは、例えば社会的弱者に対する態度と相関があるはずだ。 「知性を蔑ろにした社会には決して克服できない脅威」が登場してしまった時代に、我々は生きている。 @atsushiseoul

日本にとって韓国は「忘れ得ぬ他者」である

日本出身者として韓国で生活していると、不思議なことがある。 インターネットの時代なので、韓国であろうと日本語の情報には不自由しない。ところがこれには落とし穴があって、その日本語の情報というものがかなり怪しいのである。 検索サイトに行ってみる。韓国住みなので、韓国での出来事もどう報道されているかを覗きに行く。それを繰り返していくと、自分のヤ〇ーサイトのトップページに韓国関連の記事がお勧めで出て来やすくなる。そう思っていた。 ところが、別に韓国住みではなくても、日本では韓国の話題に事欠かないらしい。KPOP?韓国ドラマ?そういう話題ではない。 日本では韓国のことが話題になり続ける。それはエンターテイメントではなく、主に政治、それも韓国の国内政治が話題となっているらしい。いわく、与党政治家にスキャンダルがあった。いわく、若者の失業率が最悪だ。いわく、競争社会で人々が絶望している、等々。 日本は理想郷なので国内での社会問題をすべて解決してしまって、退屈なので隣国の心配をしているのだろうか?習近平は中国の人権問題に何かと口出しをする西洋人を指して、あれは「吃饱了没事做的外国人(お腹がいっぱいになるまでご飯を食べたので、やることが無くなってヒマな外国人)」であると皮肉ったことがある。日本人もお腹いっぱいなのでじゃあ外国の心配でもしてあげるかとなったのか?どうもそうではないらしい。 韓国と違って日本政治に腐敗はないのだろうか?そんなことはない。スキャンダルの連続である。日本では若者の失業問題は存在しないのだろうか?お兄さんそれ僕の友達の前で言える?日本は競争社会ではないのだろうか?いやいや自分の人生振り返ってみてくださいよ。 全て、日本でも問題になっていることである。なのになぜか韓国のことばかり報道し、まるで韓国に比べて日本はマシであると書くことで安心したがっているかのようだ。 いやいや即断は良くない、何か考えるヒントは無いだろうか、そう思いを巡らせていると、ある本を思い出した。 日本史、特に明治維新研究の大家であり、東京大学名誉教授の三谷博が書いた『愛国・革命・民主:日本史から世界を考える』筑摩選書、2013年である。 私は、この本で紹介されている、「忘れ得ぬ他者」という概念に改めて感銘を受けた次第である。 「忘れ得ぬ他者」とは何か?簡単に言うと、近代国家が成立する際には、「分かりやすい敵」であるとか、「憧れの外国」のような存在が必要である、という考え方である。 日本は、古代以来ずっと中国文明にあこがれてきた。漢意(からごころ)に対抗して、大和魂(やまとだましい)を喧伝してみた本居宣長は、そんなコンプレックスを一人で背負っている代表格である。あこがれて、でもそれにはなれなくて、いつまでも想い続ける。これも「忘れ得ぬ他者」である。 逆に、敵愾心から忘れたくても忘れられない対象になることもある。アメリカ合衆国は、独立革命の仇敵であった英国を永遠に忘れることはない。中華人民共和国は、半封建半植民地であった近代中国の弱みに付け込んで侵略戦争をしかけた日本を永遠に忘れることはない。結局、そうした苦難の戦争を乗り越えて国家を建設できたと言えば聞こえはいいが、だからこそいつまでも忘れることはできない。これも「忘れ得ぬ他者」である。 三谷博の議論で大事なのは、日本にとっての「忘れ得ぬ他者」は、古代以来ずっと中国だったのに、日清日露戦争で急激に影が薄まり、太平洋戦争の敗戦によりほぼ完全に中国は「忘れられた」(そしてアメリカが「忘れ得ぬ他者」となった)ということである。大急ぎで付け加えると、冷戦以降、日本人は中国を「思い出した」。中国の国力が回復するにつれ、日本人は再び中国を忘れられないようになっている。 と、ここまでが三谷の議論なのであるが、どうもここに韓国というファクターを補充しなければならない気がしている。 日本の言論空間を見るに、韓国について報道しない日は無い。いや、報道とさえ言えない、下世話な、貶めるような、植民地主義そのものの言説が日々垂れ流されている。 だが、ただの植民地主義、卑下するような言説であると一蹴するには、何だか屈折したものがあるような気もしていて、その理由をうまく説明するのに苦労していた。 三谷博の言う「忘れ得ぬ他者」ではそれがうまく説明できてしまうのである。三谷のモデルの中では、新しい国家を建設する時に引き合いに出される外国(好意的であれ敵対的であれ)が必要であるということだが、冷戦後経済停滞に苦しむ日本は、無意識のうちに敵対する国家を必要としていたのではないだろうか?もちろん、日本社会にもともと存在していた植民地主義的、民族差別的な情緒も大きいだろうが、それにしても他者を媒介にしてしかもはや社会をまとめられなくなっているのではないだろうか。 日本にとって韓国は「忘れ得ぬ他者」になった。忘れられないので、毎日韓国のことについて報道せざるを得ない。韓国無しでは日本をまとめられないのである。

社会を動かすものは何か

社会を動かすものが何なのか、その定義によって社会の見え方は変わってくると思う。 ある人は経済だと言うだろうし、ある人は情報だと言うだろう。また別の人は軍事力と言うかもしれない。どれもある程度正しいだろうし、どれか一つだけが正しいわけでもないだろう。 私が興味を持つ分野に、歴史学と経済学があるが、どちらもある意味社会を動かすものが何かについての探究であるように思う。時間の流れを輪切りにして、その時代時代の瞬間を切り取って理論を作っていくのが経済学だとしたら、世の中の流れを「語り」上げるのが歴史学なのかも知れない。 自分が大仰なタイトルで記事を書き始めてみた理由は、どうも今の社会を動かすものをどう描写していいのか悩むことが増えたからだと思う。資本なのか?国家なのか?テクノロジーなのか? ユヴァル・ノア・ハラリは今後の世界を動かすものは情報技術と生命技術だと分かりやすく整理している。特に生命技術の話や、今後のスーパー人類の話などはとても興味深い。 が、何となく、自分には語り切れない分野であるという気がしている。 自分は、やはり、いわゆる人文系で(まあそれを言ったらハラリもそうだが)、歴史の流れの中で社会構造が変わっていく様を「語り」によって捉えてみたいという歴史学徒(またしてもハラリ先生こそ大先輩だが)の端くれなのだと思う。 「語り」たいことは他にもあって、要するに ・人間社会のリソース(資源)の相当部分を、「国家」という組織に集中させて、経済その他の社会活動を回していく というスタイルが、いつまで有効なのだろうかということである。それは、「正統性」(正当性とは限らない)をめぐる政治経済学となるはずである。「記録」の正統性が暴力に依存しなくなった世界では、暴力を独占する存在としての国家は、解体されずに済むだろうか? ちなみに、「記録」の正統性を国家から奪うはずの技術が、ブロックチェーンと呼ばれる技術である。 ゆっくり考えていきたい。時間はだいぶかかるはずだからだ。ただし、国家が無くなった世界では、「国家があった頃」の様子を想像することは相当難しくなっているはずだろうけれど。 @AtsushiSeoul

今週の #韓国ブロックチェーン (2020年10月18日週)

ブロックチェーンの社会的受容についての一考察 ~韓国の「仲介人のいない不動産取引」をめぐる議論を中心に~ @AtsushiSeoul 問題の所在 言論空間において、ブロックチェーン(分散台帳技術)の解決すべき問題については多くの議論がなされてきた。社会的に大きな変革をもたらすという見解がある一方で、逆に解決できる問題はほとんど存在しないという意見もある。 韓国においては2020年に政府機関が発表した「仲介人のいない不動産取引」という概念が、不動産仲介業の職を奪うとして関係団体による反発を招き、社会問題として提起されつつある。 本論では、韓国における「仲介人のいない不動産取引」が惹起した議論の経緯を紹介しつつ、韓国社会においてブロックチェーンがどのように捉えられているのかを整理し、社会がブロックチェーンに向き合う上での知見を得ることを目指す。 本論 韓国政府の来年度予算案が呼んだ波紋 大韓民国(以下、「韓国」)企画財政部は2020年9月1日「“コロナ克服、先導国家” 2021年 予算案」というタイトルで来年度予算案を発表した。企画財政部とは、日本や諸外国の財務省に相当する韓国政府の中央官庁であり、英語ではMinistry of Economy and Financeである。 同資料の14ページに「知能型(AI)政府」という項目がある。その中に「福祉給与重複受給管理、仲介人のいない不動産取引など」について「19個の分野でのブロックチェーン活用実証」に133億ウォンを投資するという内容がある。この、韓国語原文では중개인 없는 부동산 거래という「仲介人のいない不動産取引」という文言が、メディアや不動産業界、果ては国会まで巻き込んで韓国社会で波紋を呼んでいる。韓国には不動産取引を専門とする「公認仲介士」という国家資格の職業があるが、予算案は公認仲介士の存在を否定するものではないか、という憶測や反発が広がっているのだ。 「公認仲介士」とは何か この波乱を読み解くために、まず前提として確認しなければならないのは、「公認仲介士」という職業についてである。 韓国では法令(「公認仲介士法」)の定めるところにより、公認仲介士の資格の無いものは業としての不動産仲介を名乗ることはできない(「公認仲介法」第2条及び第18条)。また、公認仲介士の資格試験を管理監督するのは国家であるため(同第4条)、事実上韓国における不動産開業のために必要不可欠な資格である。業としてではなく、当事者間での不動産取引は禁じられてはいないものの、法的知識や取引相手の選定の難しさもあり、オープンマーケットでの取引としては一般的ではない。 したがって韓国における公認仲介士は、不動産取引業を開業するにあたり必須の資格であると同時に、受験層が国民全体に広がる、非常に一般的な資格である。韓国で不動産取引を行おうとする際にほぼ必ず公認仲介士を介して行う必要があるという面では、同試験の受験を考えない韓国人にとっても身近な存在であると言える。 「仲介人のいない不動産取引」とブロックチェーン 続いて、政府が「仲介人のいない不動産取引」という文言で意図するところは何なのだろうか。これを読み解くための手掛かりが、同文書でも言及されている「ブロックチェーン」という技術である。 ブロックチェーンは、一般的に分散台帳(distributed ledger)技術と呼ばれることが多い。元となる概念は、インターネットコミュニティで匿名(“Satoshi Nakamoto”名義)で公開された論文“Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System”の中で提唱されている。同論文はBitcoinという名称で、特定の機関による中央集権的な認証を経ずとも、プロジェクトに自発的に参加したコンピューター(やその持主)が計算能力を持ち寄ることで、数学的に事実上転覆不能な記録台帳を提唱した。この記録台帳が保証する仮想通貨をBitcoinと呼び、また、記録台帳及びその維持システム全体のことをブロックチェーンと呼ぶことが多い。 ブロックチェーンは、中央機関に依存しないネットワークシステムの構築を可能にするため、様々な社会的応用が提唱されている。整理された議論としては『ハーバード・ビジネスレビュー』に掲載された Marco Iansiti and Karim R. Lakhaniによる“The Truth About Blockchain”がある。この論文は、TCP/IP技術がEメールのような比較的単純な技術革新から始まり、ワールドワイドウェブ等の複雑な技術体系の基層を支えつつ全く新しい経済圏を生み出したことを指摘しつつ、ブロックチェーンも同様に新しい技術的生態系を生み出す可能性について言及している。IansitiとLakhaniの議論によれば、TCP/IPが接続コストを劇的に減少させたように、ブロックチェーンは取引コストを劇的に減少させたという面で両技術には共通する面があり、ブロックチェーンはかつてのTCP/IPが実現した最も初期の技術であるEメールのような段階にあり、今後さらに複雑かつ大規模な新たな価値体系の基層となりうる。 今回の韓国政府による「仲介人のいない不動産取引」が念頭に置くのもブロックチェーンのようである。その背景には、上述した中央機関に依存しないネットワークシステムを可能にするブロックチェーンの技術的可能性があるのは間違いないだろう。他方で、ブロックチェーンには社会的には事実上インパクトを与えないとする言説も存在する。ジャーナリストであるJesse Frederikによれば、ブロックチェーンはいくつかの重大な問題(忘れられる権利の侵害・プライバシーの侵害・責任者の不在・環境問題)を抱えつつも、実用化に至るプロジェクトはほとんど無く、「魔術の市場(“a market for magic”)」に過ぎない面があるとしている。 Frederikの議論はブロックチェーン懐疑論の一典型例と言える。しかし、社会がブロックチェーンをどう向き合うかというテーマで世論の関心を惹起するほどの事態になった例というのは探すのが難しい。その意味で、韓国において政府による「仲介人のいない不動産取引」の発表が大統領府への請願やデモ(国会前における一人デモ)まで発展した韓国の例は、ブロックチェーンと社会の関係について興味深い事例と言えるだろう。 議論の展開を読み解く 調査の方法について 議論の展開を追うにあたり、参考としたのは韓国の代表的インターネットポータルサイトであるネイバー(NAVER)である。同サイトは統合検索機能を備えており、特に韓国語によるインターネット上の情報収集に注力している。本論では同サイトのニュース検索機能により表示される記事を中心に議論の展開を追うこととする。 9月1日:企画財政部の予算案の発表と初期反応 まず、振り返っておくと 企画財政部が「“コロナ克服、先導国家” 2021年 予算案」を発表したのは2020年9月1日である。同日の言論空間に見られる言説は、もともと韓国政府が実施を宣言していた「韓国版ニューディール」というプロジェクトの詳細紹介という形で、同予算案の概観を紹介する記事が中心である。経済や技術の切り口から『CBSノーカットニュース』、『イーデイリー』、そしてブロックチェーン専門メディアの『ザ・ブロックポスト』の三社が9月1日に予算案を紹介しつつ「仲介人のいない不動産取引」に言及しているが、公認仲介人の反発が起きていないのでその紹介が無いのはもちろん、メディアとしての賛成反対についての立場の表明なども見られない。 9月13日:公認仲介士の“反発”についての初めての報道Continue reading “今週の #韓国ブロックチェーン (2020年10月18日週)”

今週の #韓国ブロックチェーン (2020年10月11日週)

予告です。来週の #韓国ブロックチェーン では、最近韓国社会を騒がせている「仲介人無しの不動産取引」についての解説をします。簡単に言うと以下のような問題意識から解説してみたいと思います。 ブロックチェーンの社会的受容についての一考察 ~韓国の「仲介人のいない不動産取引」をめぐる議論を中心に~ @atsushiseoul 問題の所在 言論空間において、ブロックチェーン(分散台帳技術)の解決すべき問題については多くの議論がなされてきた。社会的に大きな変革をもたらすという見解がある一方で、逆に解決できる問題はほとんど存在しないという意見もある。 韓国においては2020年に政府機関が発表した「仲介人のいない不動産取引」という概念が、不動産仲介士たちの職を奪うとして関係団体によるデモを招き、社会問題として提起されつつある。 本論では、韓国における「仲介人のいない不動産取引」が惹起した議論の経緯を紹介しつつ、韓国社会においてブロックチェーンがどのように捉えられているのかを整理し、社会がブロックチェーンに向き合う上での知見を得ることを目指す。 参考サイト Satoshi Nakamoto, “Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System” Marco Iansiti and Karim R. Lakhani “The Truth About Blockchain” Harvard Business Review, the January-February issue Jesse Frederik, “Blockchain, the amazing solution for almost nothing”, the Correspondent,21 August 2020. 기획재정부 “’코로나 극복, 선도국가’, 2021년 예산안 및Continue reading “今週の #韓国ブロックチェーン (2020年10月11日週)”

【韓国】最近のコロナ対策について感動したこと

あにゃーせよ!(안녕하세요!)妻を追って韓国に移住した아츠시(@AtsushiSeoul)です! 私の住む韓国でもまだまだ勢いが消えないコロナ(COVID-19)ですが、最近このコロナ対策で感動したものを二つご紹介したいと思います。 感動したコロナ対策その1:地下鉄改札口での「マスク着用」アナウンス 何だそりゃ、って感じだと思いますが、そのまんまです。 地下鉄の改札口に、交通カード(SUICAみたいなやつ)をピッと接触させます。 すると、”마스크를 착용하세요”(マスクを着用してください)というアナウンスが流れるようになったのです!9月くらいからかな? 最近韓国では、交通機関でのマスク着用の義務に対して法的根拠が出来ました。国会でそういう法律が通過したのです。 これによって、マスクをしない乗客には正式に罰することができるようになったようです。 改札口でのアナウンスは、それに合わせたものでしょうか。 感動したコロナ対策その2:高速道路サービスエリアでの、「ワン切り電話での入場証明」 これまた何のこっちゃだと思います。説明します。 不特定多数の人間が集まる可能性の高い施設、例えばレストランやカフェ、その他公共施設はコロナの感染拡大の危険が非常に高いです。 そのため、その日に誰が入場したのかを記録する必要があります。 今までですと、そうした入場記録を取るために 1.普通の紙に個人情報(名前、電話番号、簡単な住所)を書いてもらう という方式が主流でした。しかし、これには問題点があって、 「他人の個人情報を他の客が見れてしまう」 というものです。考えてみれば当然ですね。そこで、最近出てきたのが 2.客がネイバー(Naver)のホームページから個人QRコードを生成し、店のバーコードリーダーで読み取る というスタイルです。これならスマホさえ使えれば誰でもできるし、個人情報も守れる。ネイバーは韓国人ならみんな使っているポータルサイト(日本でいうならヤフーくらいメジャー)なので、だいぶ進入障壁も低いはず。スマホさえ使えれば。スマホさえ使えれば。。。 ところが実際問題、スマホを使い慣れていない人も社会の中には多数います。 コロナはスマホリテラシーなどお構いなしに拡散するので、そういう人も含めて入場記録を取る必要があります。そこで、上述の「電話ワン切り」システムです。 この写真は韓国のある高速道路の休憩所(サービスエリア)で撮影したものです。 赤い丸で囲った部分が、電話番号なのですが、サービスエリアの利用者は、入り口でまずこの電話番号に電話をかける必要があります。 私もやってみましたが、「プルルルル…」と電話がなったと思うとすぐに “인증되었습니다.”(認証されました) というアナウンスが流れ、自動で通話が終了しました。電話番号をダイヤルしてからメッセージが流れ、切れるまでの時間、約7秒。これなら簡単だし、速いですね。 その施設専用の電話番号を用意するという手間はかかりますが、お客さんの立場からするとこの電話ワン切りシステムが一番便利でした!今後こういう便利な方法が広まるといいですね。 以上、韓国から、最近感動したコロナ対策を二つお送りしました!

韓国生活 何気ない日常風景:スーパー

あにゃーせよ!(안녕하세요!)妻を追って韓国に移住した아츠시です。 今日は近所のスーパーの風景を紹介します。 以上、韓国では何でもない日常の風景ですが、コロナで韓国に来れなくて韓国ロスの人もいるかと思ってお届けしました。 それでは!

韓国でお葬式に行ってきた【日本婿あつしの韓国生活】

あにゃーせよ(안녕하세요)!妻を追って韓国移住したあつし(@atsushiseoul)です。今回は韓国で初めてお葬式に行ってきたので記事にしました。ご参考までにどうぞ。 ・はじめに 韓国での初めてのお葬式 故人との関係 ・お葬式について 場所:大邱(テグ)の病院地下葬式場 日時:2泊3日 参加者:ほぼ家族のみ。コロナ時代を実感 内容:ひたすら待機のお葬式・涙涙の火葬場・自然へと還る樹木葬    1日目:突然の訃報・飛び乗るKTX・式場泊    2日目:徹夜明けの喪主たち・涙の入館・ひたすら待機・親戚との会話・充実した食事    3日目:早朝の發靷(出棺)・記憶を頼りに進む山中・樹木への散骨・道端での食事 ・文化の違い?印象的だったこと 宗教? 「忌引き」について 「泣くこと」について ・韓国で初めてお葬式に参加して、次回から準備したほうがいいと思ったもの 事前の確認:家族の連絡先・お金・忌引き制度・お墓の確認 心の準備:宗教・遺言・外国で死ぬということ ・はじめに 韓国での初めてのお葬式 韓国でお葬式に行ってきた。僕にとっては初めての韓国でのお葬式である。 お葬式と言うのは人が亡くなった時に行うものであるから、誰にとっても悲しいイベントである。韓国人の妻を追って韓国に移住した日本人婿の僕にとっても、色々と大変だった。日本とは違うお葬式文化や、密な親戚同士の人間関係を2泊3日でみっちりと経験することになった。ある意味では貴重な経験をしたと言える。あまり考えたくないお葬式というイベントではあるが、比較的精神的打撃が少ないうちに、今回経験した韓国でのお葬式の流れを記録に残し、将来の自分や、韓国でお葬式を出すことになるかもしれない方々の参考になればと思い筆を執った次第である。 故人との関係 私は韓国に住む日本人男性である。韓国人の妻を追って韓国に移住した、日本人婿である。今回亡くなったのは妻の父方の祖母に当たる方であり、妻にとっては存命の唯一の祖父母であった。 享年95歳の大往生であり、半年ほど前の今年の旧正月にお会いしたときは多少痴呆の気はあったものの矍鑠としておられた。高齢の方が亡くなるときというのは、急に容体が悪くなるものらしい。が、それまで大きな病気も無くお元気でいらしたというのは不幸中の幸いであった。 今年95歳ということは、生まれてから成人するまで日帝強占期を過ごしたということだが、痴呆のためかそもそも日本語教育を受けなかったためか、あるいは他の深い理由かは分からないが、日本人婿の僕と日本語で会話した記憶はない。故人は若くして夫と死別している。30歳ごろに夫に先立たれた故人は、妻の父を含む3人の子供を女手一つで育てていくこととなった。韓国戦争が終わったばかりの混沌とした時代である。3人とも立派に成人されたが、その苦労は想像を絶するものがある。晩年は孫にも恵まれ、特に私の妻は大変可愛がってくださったようである。妻が大学に合格したときは家で踊り倒したということだ。また、愛煙家でもあり、亡くなる直前まで煙草を吸っていたにもかかわらず、医師によると肺はとてもきれいであったという。激動の時代を生き抜いた人らしい、生命力にあふれる方だったようだ。 宗教的には無宗教である。が、息子夫婦(=私の妻の両親)が近年ローマカトリックに入信したこともあり、亡くなる直前に洗礼を受けることとなった。洗礼名マリア。 ・お葬式について 今回僕が参席した、韓国でのお葬式について書いていこうと思う。 ところで、世の中には文化人類学という学問があり、人間社会を客観的に観察・研究する知の体系があることは僕も知っている。そういった学問の徒であれば、僕が今回経験したような異国でのお葬式のようなイベントについても深い考察ができるのだと思う。が、残念ながら無知なる一移民に過ぎない僕にとっては、5W1H及びタイムラインを掲示するのが精いっぱいである。あくまでも僕の経験した内容ということをご了承いただければ幸いである。 場所:大邱(テグ)の病院地下葬式場 今回のお葬式は、妻の実家のある韓国南部、慶尚南道に位置する大邱(テグ)のある病院地下の葬式上で執り行われた。 お葬式は韓国語では葬礼式(장례식)といい、葬式場は葬礼式場(장례식장)という。単語は似ているが、その意味するところはずいぶん日本と違う。まず場所からして、病院の「地下」に葬式場が備わっていることを僕は知らなかった。 不幸な出来事であるお葬式という行事の特性をふまえ、今回はあまり写真を撮らなかった。したがって葬式場の雰囲気は文章でお伝えする他ないのだが、まず病院の地下にある。入り口にはお悔やみの花が飾られており、そこで靴を脱いで入場する。 葬式場は大きく二つの場所に分かれている。一つは入り口に近い、広い空間であり、これは完全に食事をするためのスペースである。床に座って食事をする韓国式食堂、たとえば普通の街中のカルグクス(韓国式うどん)屋さん等を想像していただければいいと思う。実際に食事も飲酒もここで行う。 葬式場を構成するもう一つの場所は、祭壇のある小さな部屋である。前述の食堂のようなスペースのすぐ隣にあるものの、壁によって隔てられている。ドアは無い。ここは日本人でも想像がつくと思うが、まず白い棚に故人の写真が供えられている。また、果物のようなお供えもある。そして、お香がある。お香の上げ方は日本とほぼ同じだ。喪主(今回は故人の息子)と家族が弔問客を迎え礼を受け、涙ながらに祈りを捧げるのもこの部屋である。 賻儀金(プイグム)と呼ばれる香典もこの部屋の箱に入れる。喪主は基本的にこの部屋にこもり、食事の時及び弔問客の見送りの時以外は出てこない。 日時:2泊3日 葬式場が病院の地下にあるのも驚いたが、葬式が2泊3日と長いのにも驚いた。日本では不幸があると、訃報を打って葬式をあげるとなるのは一緒だが、ほとんどの場合は一日で終わると思う。 だが、韓国では2泊3日でお葬式をあげるのが一般的であるらしい。今回は故人に不幸があったのが火曜日だったので、火曜日を起点として木曜日までお葬式を行った。 2泊3日の間何をするのかと言うと、基本的には喪主を中心として個人の家族が葬式場に常駐し、弔問客たちを迎え、食事でもてなす。 喪主は、2泊3日の間、一睡もしない。上述した祭壇のある部屋にこもって、お香を絶やさないようにするのである。さらには、喪主は喪服を脱がない。つまり睡眠もシャワーもとらず、故人の冥福を祈るために2日間徹夜で香を上げ、弔問客をもてなすのである。ただでさえ傷心の喪主にとっては辛い時間であるはずだが、大事な人を喪った直後という最も精神的に危うい時間帯に人々と会い続けるのはそれなりに合理的なのかも知れない。 参加者:ほぼ家族のみ。コロナ時代を実感 喪主は2泊3日で弔問客に会うと書いたものの、今回のお葬式では家族以外の弔問客はほとんど無かった。その理由はコロナ(COVID-19)である。韓国でもコロナ対策で、大人数の集会の自粛が呼びかけられており、お葬式も例外ではない。そのため、今回はわたくしども家族の他には、故人が亡くなる直前に急遽入信したローマカトリックの神父さん一名以外は誰も弔問しなかった。葬式場の大きな食堂も、人が集まればこそ役に立つ。また、傷心の喪主を慰め、励ますという意味でも2泊3日の長丁場の葬式には弔問客の来訪が欠かせないと思うのだが、コロナのため人々が来ないために葬式場が余計広く、日程も余計長く感じられたものである。 内容:ひたすら待機のお葬式・涙涙の火葬場・自然へと還る樹木葬 改めてお葬式の具体的な流れを書いていこうと思う。タイムライン形式で書いていくので、長いと思ったら読み飛ばしていただいて構わない。 1日目:突然の訃報・飛び乗るKTX・式場泊 故人に不幸があったのは平日の火曜日だった。妻も僕も仕事中ではあったが、即座に勤め先に忌引きの申請を行い、受理された。翌日と翌々日の水曜木曜の二日間の忌引きである。 そもそも、妻の祖母の具合が良くないということは、前週の秋夕(チュソク)で大邱に行ったときに聞いていた。もともとチュソクでは家族親戚が一堂に会し、近況を共有したりするものだが、今回はコロナもあり、妻の一家とだけ会ったので何となく祖母の印象が薄かった。だが、妻はチュソク後も義母から、「そろそろ危ない」という話を聞いていたようだ。 最初僕は忌引きが一日分で十分かと思ったが、妻に言われて二日分申請することになった。正直、韓国でのお葬式が2泊3日も続くことを知らなかった僕は、「訃報を打ってからお葬式が始まるまでのタイムラグもあるし、長めに忌引き申請をしておけということかな」ぐらいの認識でいた。 妻とソウル駅で待ち合わせ、駅のプンシクチプ(粉もの料理屋)でうどんとキンパプを掻き込む。そのままKTXに飛び乗り、先週チュソクで行ってきたばかりの大邱に向かった。 大邱に到着し、バスを乗り継いで病院に到着すると、すでに夜であることもあり受付が閉まっていた。裏入り口から中に入ると、階段があり、そこを降りていくと葬式場があった。僕はこの時初めて韓国の葬式場は病院の地下にあるものと知った。つまり、韓国の葬式の風習について何も知らずに着替えだけ持って葬式場に来たのである。 靴を脱いで葬式場に入ると、食堂のような空間が広がっている。何故か小さい子供たちが騒ぐ声がすると思ってみると、妻の従妹たちの子供だった。すでに葬式は始まっており、妻の従妹たち(この人たちも故人の孫娘である)が弔問に来てくださったのだ。まずは祭壇のある部屋に入り、妻と一緒にお香を上げ、ぎこちなく故人の祭壇に対して礼をする。ついで義父母に対しても礼をする。食堂スペースに戻り、ひとしきり親戚の人たちに挨拶しながら改めて夕食を摂った。 親戚たちは帰り、義父母と僕たち夫婦だけが葬式場に残された。義父母は僕たちに、シャワーをして寝なさいと仰ったため、「お義父さまからお先にどうぞ」と言ったところ、喪主は葬式の二晩の間、喪服を脱いではいけないのだという。のみならず、喪主は寝てもいけなくて、二晩の間ずっとお香を絶やさないように祭壇の部屋にこもるということだった。ただでさえ、大事な人を喪って傷心状態の喪主に不眠不休でいさせて大丈夫かと心配になったが、考えてみると一番悲しい時間帯なので思いっきり悲しい気分に浸るという意味では合理的なのかもしれない。その間ずっと弔問客を迎えるシステムもある。家族や友人知人に慰めても貰える。故人との気持ちに区切りをつけるという意味ではよくできているのかも知れないと思った。Continue reading “韓国でお葬式に行ってきた【日本婿あつしの韓国生活】”

韓国に住む日韓夫婦の「秋夕(チュソク)」里帰り@2020年

あにゃーせよ!(안녕하세요!)妻を追って韓国に移住した아츠시です。今年も秋夕(チュソク)の連休を利用して妻の実家のある韓国南部の都市・大邱(テグ)に2泊3日で里帰りをしてきた。色々と興味深いことがあったので、写真や動画で振り返ってみたいと思う。 いきなり言い訳がましくなるが、とても楽しかった。そして、チュソクが楽しかったと言えば言うほど嫌われてしまうのが在韓日韓夫婦の定め…! そもそもチュソクとは何か?一般的には「韓国版旧暦お盆」と理解されていると思う。僕もそれはほぼ正しい認識だと思う。ご先祖様の霊が、あの世から帰ってくるイベント。日本だってお盆と言えばそういう建前で、田舎の実家にみんなで帰省していたはずだ。そして昔は旧暦でやっていたはずなのだ。韓国(や中国)では、そういう伝統イベント(お盆や正月)は今でも旧暦で行っている。 それでなぜ「チュソクが楽しかったと言えば言うほど在韓日韓夫婦のコミュニティの中で嫌われてしまう」のか?それにはちょっと解説が要る。 まず、韓国在住の日韓夫婦は、「韓国人夫+日本人妻」の組み合わせが圧倒的多数派だと思う。つまり、韓国に嫁入りしたパターンが大部分なのである。そういう家庭では日本人妻は「ミョヌリ(=日本語で言うところの「嫁」)」として、チュソクでご先祖様にお供えする料理(写真は下記に掲載)の準備をするための労働力として期待されるのである。姑と!嫁が!大量の料理を!するのである。それが嫌で嫌で仕方ない、そもそも大人数の(普段別に親しく付き合ってるわけでもない)義理の家族と顔を合わせるだけでもストレスなのに、さらにタダ働きさせられるのはもう精神的に参ってしまう、というのが「一般的な韓国在住の日韓夫婦の日本人妻」のチュソクのイメージであるらしい。 ちなみに韓国と日本の両方で話題を呼んだ『82年生まれキムジヨン』という韓国小説にも、チュソクで夫の実家に帰省して姑と一緒に料理したりタダ働きに汗を流す妻と、そんな妻を横目に自分の実家でくつろぐ夫の姿が対比されている。韓国人女性でさえ夫の実家(シジプという)での姑との労働やそれに付随するもろもろの会話は鬱になるのだから、異国の地に嫁いだ日本人妻にとってはそのストレスは想像に難くない。 という、一応日本人妻たちの辛さは認識はしているというアリバイを作った上で、今回の楽しかったチュソクの振り返りを行っていきたい。 ちなみに今回のチュソクは、コロナ(COVID-19)の拡散後初の名節(韓国語ではミョンジョル)となった。2020年初から韓国でも大拡散したコロナだが、旧正月(ソルラル)の時点ではそこまで拡散していなかった。そのため、「民族の祭典」たるチュソクとはいえども、今回ばかりは国民に帰省の自粛を呼びかけるべきかどうかが国政レベルで真剣に議論されていた。結局は国家からは「自粛」というほど厳しい呼びかけは行われず、「帰省はオンラインで」「顔合わせより家族の安全を」といった、奥歯に物が挟まった曖昧な言い方に留まったという印象である。 さて、チュソクの帰省である。ソウル駅からKTXに乗り、妻の実家のある韓国南部・慶尚南道の大邱(テグ)を目指す。 わたくしども夫婦はソウルから大邱までの移動を、KTXという韓国の高速鉄道に乗って行った。KTXは、日本で言うなら新幹線のようなものと理解してもらえればよい。前述の通りチュソクでの民族大移動によるコロナの感染拡大が危惧される中、公共交通機関の中でも長距離移動の大動脈であるKTXは、コロナの感染源として最も危険視されていた。そのKTXは、乗客の搭乗を「窓際席のみに限定」するという荒療治で乗り切った。つまり、席を予約する段階から窓際席のみ選択可能とする方法を取ったのである。これなら客と客の間が最大化できる…が、単純に考えてもこれはKTXのチケット売上高を半分まで落としてしまう。(座席をフルで売った場合は一列あたり窓際+通路側+通路側+窓際の4席。窓際のみの場合は2席。ツイートで4分の1と書いてあるのは盛大なる間違いである。) KTXの東大邱駅を降りると、広々とした駅前が広がっている。どうやら再開発を行っているらしい。噴水などもある優雅な雰囲気である。 ここから、地下鉄東大邱駅へと向かう。この地下鉄東大邱駅が面白かった。 まず、「文学自販機」というものがあった。 東大邱駅の地下鉄構内に「文学自販機」というものがあった。これは、ボタンを押すと無料で詩の書かれた紙がプリントアウトされてくるというものである。さすが文学の国、韓国。詩人の国、韓国。優雅さが違う。 もう一つ面白かったのは、「音の出る階段」。階段を登るたびにドレミの音が出る楽しい仕掛けである。これは色々な駅に設置されているらしいが、僕はここ東大邱で初めて見た。 地下鉄にしばらく揺られ、無事に妻の実家に到着した。 可愛い猫にお出迎えされたりした。 注意:ここから先は美味しそうな韓国料理の写真が出て来ます 妻の実家に到着した初日は参鶏湯(サムゲタン)という料理をご馳走になった。ツイッターでお世話になっている韓国人の博士様によると、婿が夜に頑張れるように義母が作る定番料理だそうだ。 また、豆腐と大根と牛肉のスープ(ソゴギムックッという)もご馳走になった。地味なようだがとても美味しい。 翌日朝は10月1日。秋夕(チュソク)本番である。先述した通り、ご先祖様の霊をお迎えするというお盆的なイベントであり、より正確にはチャレ(茶礼)というらしい。秋夕や旧正月の年2回、ご先祖様全体に対する礼を執り行う儀式である。一方でチェサ(祭祀)というのもあり、これは具体的に亡くなった方を想定し、その命日に行うものであるらしい。 お供えの料理は妻のお母様(チャンモニム)が準備して下さった。 写真を見れば分かる通り、多くの飲食物が供えられる。米の飯や果物、魚、タコ、ジョン(チヂミ)などである。また、マッコリという酒を何度かに分けてテーブルの上に乗せる。お香を焚き、マッコリの杯を持ってお香の上で円を描くように回し、テーブルに備える。 お供えのセッティングが出来たら、クンジョルという礼をする。両手を頭の上に持っていき、床に両手をつきながら両膝をつく。僕は中学高校時代、弓道の稽古に明け暮れていたので、こうした礼は嫌いでない。 礼がすんだら、お供えを少しだけ残して、家族で食す。これもまた古き良き時代の習慣という感じで良い。朝からマッコリ。 食事後に妻の家の中でわたくしども夫婦の臨時寝室として使わせて頂いている部屋に戻ると、箪笥の立派さに改めて驚いた。昔気質の家には今でも多くあるらしい。 日本と韓国は文化が似ているが、美意識という面では韓国には何というか卓絶したものがある気がする。この箪笥もそうだった。 こうしたちゃぶ台は日本と同じか。 朝食を茶礼のご馳走で大食したせいか、昼食はみんなでスキップすることになった。そこで、天気も良いことだし大邱市内にある大邱水辺公園という自然公園に赴いた。 自然にあふれた公園で、散歩しながら、僕、妻、妻のお母様の3人で色々な話をした。 今回の大邱行きでは、家族の会話というのを多く行ったのであるが、その中でも最も大きな話題はずばり「子供」のことであった。わたくしども夫婦は結婚して2年になるのだが、夫婦の合意の下、避妊を続けてきた。だが、年齢の問題もあり、そろそろ…という話をしている。義実家のご両親や、私自身の希望もあるので、そろそろ本腰を入れて取り組んではどうか、という話をしてきた。繊細な問題であるが、私自身韓国社会である程度基盤を築きつつあるので、夫婦でよく話しながら実行していきたい所存である。こうした、普段意識しながらもなかなか言いづらい話を敢えてできるのも、名節のようなイベント性のある時期ならではのことではないだろうか。 楽しい時間はあっという間に過ぎ、大邱を離れてソウルへと向かう時間となった。ご馳走になったお礼と、日ごろの感謝の気持ちを込めて、わたくしども夫婦はご両親にヨントン(現金のプレゼント)を行った。韓国では、家族の間で口実を見つけてはこのヨントンの交換が盛んにおこなわれる。僕は日本では現金を送りあうなんてしたことが無かったので最初は抵抗があったが、銀行間の送金手数料がタダであることが多いのと、送る回数が多い割には送られる回数も多いので、結局儀式的にお金を「送りあっている」ということが徐々にわかってきたため、いつの間にかわたくしども夫婦もご両親にヨントンを送るのが普通になった。今回は帰省したこともあり、手渡し。 さて、再びの東大邱駅である。帰りは夜になった。 そう、大事なことを言い忘れていた。大邱は韓国の中でも、初期にコロナが大拡散してしまった都市なのである。それもあって、街のいたるところに「マスクを着用しよう!」というメッセージが掲げられていた。ソウル首都圏でも多いが、大邱はそれに輪をかけて徹底されていた印象がある。これも、初期に感染爆発に苦しめられた大邱ならではと言えようか。10月になった今では大邱は韓国でも一番コロナが少ない地域となっている。 【コロナ】マスクをしよう:韓国・大邱(テグ)の看護師からの伝言 さて、今ではコロナ対策もあって、KTXに搭乗する際には、アンタクトで消毒が可能である。アンタクトとはUntact,非接触非対面を意味するコングリッシュ(英語風韓国語)であるが、コロナをきっかけに社会的に急速に普及しつつある。 同様に、コロナ対策のために密を避けてプラットフォームの待合室のような場所は完全に封鎖されていた。 そんなこんなでまた2時間KTXに揺られ、無事にソウル駅へと到着した。本当に楽しい時間を過ごすことができたので、妻と義理のご両親には感謝してもしきれない。このチュソク連休が終わったらまた頑張って働こうと新たに心に決めた次第である。