「引き寄せの法則」を西洋思想の文脈で考え直してみた――LawとAgreement、精神と物理世界

最近、「引き寄せの法則」について書かれた本を読んでいて、妙に気になる表現に出会った。

そこでは、私たちが通常「物理法則」と呼んでいるものが Agreement と表現され、一方で「引き寄せ」は Law と呼ばれていた。

最初は単なる言葉遣いの問題かと思った。

しかし、よく考えてみると、この Law と Agreement の使い分けには、この思想の世界観そのものが表れているのではないか。

そして、これを「科学的に正しいか、間違っているか」という話からいったん切り離し、西洋思想の文脈に置いてみると、意外に面白いものが見えてきた。

物理が「Agreement」で、精神の働きが「Law」

私たちは普通、世界をこのように考えている。

物理世界がまず存在する。

時間と空間があり、物質があり、物理法則がある。

そして、その物理世界の中に人間の身体が存在し、脳が活動することによって意識や感情が生まれる。

つまり、

物理世界 → 精神世界

である。

ところが、「引き寄せの法則」の世界観は、これをほとんど逆転させている。

精神世界 → 物理世界

なのである。

精神や意識こそが一次的であり、私たちが経験している物理世界は、その意識が経験する世界の一つのあり方だと考える。

だからこそ、精神に関する原理を Law と呼び、物理世界の制約を Agreement と呼ぶ。

もちろん、これは「重力など存在しない」という意味ではない。

ここは重要なところだ。

この思想をなるべく好意的に、かつ整合的に読むなら、

「物理的制約は存在する。しかし、それが存在の最終的な基盤であるとは限らない」

という主張なのである。

physisとnomosをひっくり返す

この構図は、西洋思想の言葉を借りるとさらに面白くなる。

古代ギリシャ以来、physisnomos という有名な対立がある。

physis は「自然」「自ずからそうなるもの」。

nomos は「法」「慣習」「取り決め」。

現代人の感覚なら、重力や熱力学のような物理法則こそ physis であり、法律や社会規範こそ nomos だろう。

ところが、引き寄せ思想は、ある意味でこれを反転させている。

物理世界のルールを Agreement、つまり nomos の側へ置き、精神世界に働く原理を Law、つまり physis のような根源的なものとして扱う。

これが科学的に正しいかどうかは、ここでは問題ではない。

重要なのは、そういう存在論を採用した思想なのだと理解することである。

実は西洋思想には「精神優位」の長い歴史がある

こう考えると、引き寄せ思想は突然現れた奇妙なニューエイジ思想とも言い切れなくなる。

西洋哲学には、「目の前にある物質だけが最終的な現実なのか」という問いが繰り返し登場する。

プラトンなら、感覚世界よりイデアを根源的なものとして考えた。

新プラトン主義では、一者から知性、魂、そして物質へと存在が流出していく。

ライプニッツのモナド論では、実在の根底にあるモナドは「窓を持たない」。外から物理的に押されたり引かれたりすることによって存在しているのではなく、それ自身の内部に次の状態へ向かう原理を持っている。

カントになると、空間や時間さえ、物自体そのものの性質として単純に扱うことはできなくなる。私たちが世界を経験するための形式として考えられるからだ。

もちろん、これらを全部「引き寄せの法則の先駆者」と呼ぶのは無理がある。

しかし、

精神と物質のどちらをより根源的なものとして考えるのか

という問題そのものは、西洋哲学のど真ん中に昔から存在している。

その意味で、引き寄せ思想を西洋思想の文脈で読み直すことは、それほど突飛なことではない。

地面に落ちたアイスクリームを「元に戻して」と泣く子供

このことを考えていて、ふと子供のことを思った。

小さな子供がアイスクリームを地面に落としたとする。

子供は泣きながら言う。

「元に戻して!」

大人は困る。

一度地面に落ちてしまったアイスクリームは、元の状態には戻せない。

時間は逆行しない。

大人にとっては当たり前の「現実」である。

しかし、子供の精神世界ではそんなことは関係ない。

「元に戻してほしい」

のである。

ここで面白いのは、物理的に不可能であることと、その願望が存在することは、まったく別の問題だということだ。

熱力学を説明しても、子供の悲しみは消えない。

「元に戻ってほしい」という願望は、物理世界では実現不可能でも、精神世界では完全に実在している。

そして私たちは成長するにつれて、「世の中には自分の願望とは無関係に存在する制約がある」ということを学習していく。

フロイトの言葉を借りれば、快感原則だけでは生きられず、現実原則を身につけていく。

しかし、大人になっても精神は物理法則に完全には従わない

ここでもう一つ面白いことがある。

大人になって物理的制約を完全に理解したからといって、精神までその制約に従うわけではない。

40歳の人間が、

「20歳に戻りたい」

と思うことはできる。

物理的には不可能である。

しかし、思うこと自体は可能だ。

1000年前のローマを歩いている自分を想像することもできる。

未来の自分を想像することもできる。

空を飛ぶ自分を想像することもできる。

つまり、身体は物理世界に完全に拘束されているが、意識が持つ内容は同じ意味では拘束されていない

むしろ面白いことに、物理世界の Agreement を十分に理解した大人だからこそ、それを破る反実仮想を高度に想像できる。

「時間は戻らない」と知っているからこそ、

「もしあの日に戻れたら」

という想像に意味が生まれるのである。

感情は「世界が私にとって何であるか」を示している

この問題を考えるうえで、私は感情が重要なのではないかと思う。

ただし、「感情そのものが自己である」とまで言ってしまうと、少し強すぎるかもしれない。

むしろ、

感情は、世界が自分にとってどのような意味を持っているかを、最も直接的に示すもの

と考えると分かりやすい。

たとえば「雨が降っている」という物理的事実がある。

降水量は測定できる。

しかし、

「雨が降っていて嬉しい」

「雨が降っていて悲しい」

「雨が降っていて腹が立つ」

という感情は、降水量からは導き出せない。

そこには「私にとって世界がどういうものであるか」という、物理的記述とは別の次元が存在している。

意味、価値、希望、後悔、欲望。

これらには重さも長さもない。

しかし、人間にとってそれらを「現実ではない」と切り捨てることもできない。

「まだ存在しない未来」が、現在の人間を動かしている

ここから考えていくと、さらに面白い問題に突き当たる。

人間は、まだ存在していない未来を想像する。

そして、その未来によって現在の行動を変える。

たとえば家を建てる。

物理的な家が最初から存在しているわけではない。

最初に、

「こんな家を建てたい」

という精神的な表象がある。

そこから図面ができる。

資金が動く。

人が働く。

木材やコンクリートが移動する。

そして最後に、最初は精神の中にしか存在しなかった家が、物理世界に出現する。

ここには、

Idea → Intention → Action → Matter

という流れがある。

もちろん、精神が超能力によってコンクリートを動かしたわけではない。

行為が媒介している。

しかし、それでも「まだ存在しないものについての精神的表象」が物理世界の変化に先行したことは事実である。

営業という仕事を考えると、この構造がよく見える

私は営業の仕事をしているので、この構造には非常に馴染みがある。

営業が扱っているものの多くは、物理的なものではない。

顧客の期待。

不安。

需要。

予算。

信頼。

競合への懸念。

将来計画。

「この製品を使えば、こういうことができるかもしれない」という想像。

これらには物理的な重量はない。

しかし、それらが最終的には、

見積書になり、

注文書になり、

製品が動き、

物流が発生し、

金銭が移動する。

つまり営業とは、ある意味では、

まだ物理的には存在していない可能性を発見し、それを物理的な現実へ変換していく仕事

なのである。

「この案件は取れる」という確信は、どこに存在するのか

営業をしていると、ときどき根拠を完全には説明できないのに、

「これは取れる」

と感じることがある。

その時点では注文書は存在していない。

売上も存在していない。

入金もない。

物理世界だけを見れば、「まだ何も起きていない」。

しかし営業本人の意識の中には、すでにある種の未来像が存在している。

そして、その確信によって行動が変わる。

質問が変わる。

顧客への接し方が変わる。

情報への注意が変わる。

提案のタイミングが変わる。

すると顧客の反応が変わる。

新しい情報が入ってくる。

そして本当に注文書が発行されることがある。

ここには、

想像された未来 → 現在の行動 → 実現された未来

という構造がある。

ここで「引き寄せ」を三つに分ける

ただし、ここで慎重にならなければならない。

「引き寄せ」には、少なくとも三つの異なる主張が混ざっているように思う。

第一は、存在論的な引き寄せ

精神を物質よりも根源的なものとして考える。

これは西洋の観念論や形而上学と十分に比較できる。

第二は、心理的・実践的な引き寄せ

何を意識するかによって注意、判断、行動が変化し、その結果として現実に起こる出来事も変わっていく。

これは営業をしていれば、かなり実感しやすい。

第三は、物理的な引き寄せ

精神が通常の因果関係を介さず、直接外部の物理世界に出来事を発生させるという主張である。

ここには大きな断層がある。

西洋観念論が「精神は世界の構成において根源的である」と論じることと、「私が強く願えば、通常の因果経路なしに特定の出来事が発生する」と主張することは同じではない。

この断層を、無理に埋める必要はないと思う。

「引き寄せ」を可能態から現実態への移行として考えてみる

むしろ私には、ここでアリストテレスの「可能態」と「現実態」という考え方が面白く思える。

まだ家になっていない木材には、家になる可能性がある。

しかし、放っておけば家になるわけではない。

そこに目的、設計、技術、行為が加わることで、可能性が現実化する。

営業でも同じではないだろうか。

まだ需要になっていないが、需要になりうるもの。

まだ顧客自身も明確には認識していない問題。

まだ案件ではないが、案件になりうる状況。

優れた営業は、そうした「まだ存在していないもの」を見る。

そして対話し、情報を集め、提案し、価格を調整し、タイミングを計り、行動する。

その結果、

potentiality(可能態) → actuality(現実態)

への移行が起こる。

子供の万能感でも、現実への服従でもない

ここで最初のアイスクリームの話に戻る。

子供は Agreement を知らない。

だから「元に戻して」と泣く。

やがて大人になり、Agreementを学ぶ。

「無理なものは無理だ」と理解する。

しかし、そこで終わる必要はない。

創造的な大人は、

「確かにこの制約は存在する。では、その制約の中で何が可能なのか」

と再び考えることができる。

これは幼児的万能感への退行ではない。

現実原則を通過した後の想像力である。

私は、この区別がかなり重要なのではないかと思う。

「引き寄せの法則」をこう読み替えてみたい

ここまで考えると、私にとって「引き寄せの法則」は、少し違うものに見えてくる。

「強く願えば宇宙が願いを叶えてくれる」

という話だけではない。

むしろ、

人間は、まだ物理的には存在していない可能性を意識の中に現在化し、その可能性に照らして現在の世界を知覚し、選択し、働きかける。そして、その可能性の一部を行為によって物理的現実へ移行させる。

そう考えるとどうだろう。

精神が物理法則を魔法のように無効化する必要はない。

物理世界には物理世界の制約がある。

Agreementは習得しなければならない。

むしろ、Agreementを深く理解しているからこそ、その中に存在する可能性を発見できる。

Lawだけでもない。Agreementだけでもない。

精神の中でまだ存在しない世界を想像しながら、同時に現実世界の制約を徹底的に理解する。

そして、その二つの間を行為によってつなぐ。

もしかすると、人間が「何かを実現する」という営みの核心は、そこにあるのかもしれない。

精神世界は、本当に「非現実」なのか

結局、この本をきっかけに私が考えるようになったのは、「引き寄せの法則が科学的に正しいか」という問題とは少し違う。

もっと根本的な問いである。

現実とは、私たちの意識から独立して存在する物理的なものだけを指すのだろうか。

悲しみ。

欲望。

希望。

価値。

意味。

未来への期待。

まだ存在しないものについての想像。

これらには物理的な座標がない。

しかし、それらによって人間は行動し、その行動によって物理世界そのものが変わっていく。

そう考えると、精神世界を単なる「現実のコピー」や「頭の中の幻想」として片づけるのも、何か重要なものを見落としているように思える。

物理世界が精神世界に従属している、とまで言う必要はない。

しかし逆に、精神世界が物理世界の単なる付属物だと決めつける必要もない。

まだ存在しない未来を現在の精神の中に存在させ、それを現実へ近づけていく。

その奇妙な能力こそ、人間の精神について考えるうえで、「引き寄せの法則」という少し怪しげな思想が、意外にも面白い入口を提供してくれているのかもしれない。

Published by Atsushi

I am a Japanese blogger in Korea. I write about my life with my Korean wife and random thoughts on business, motivation, entertainment, and so on.

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