不動産とはなんだろうか

地方選挙が終わった。

大勢としては民主党の勝利だが、

不動産政策が我々民主勢力へのアキレス腱になることを再認識した選挙だった。

一坪6000万ウォンを超えた地域は国民の力に投票する傾向が顕著だったという。

その傾向は、2018年にはなかったものだともいう。

そもそも不動産とはなんだろうか。

家。そこに人が住むための商材。

車とも株とも違う、人生を通貫する重さがある。

何年もかけて稼ぎ、家を買い、その後も何年もかけて借金を返すという前提がある。

韓国の場合は単純な家賃だけでなく、貸切(チョンセ)という制度もありややこしい。

「セ(貸家)」

「ウォル(月)セ(貸家)」(日本でイメージする普通の家賃。貸し家。月毎に家賃を払う)

「チョン(全)セ(貸家)」。まとまった金があれば、チョンセも悪くない。入居のタイミングで、入居者は家主にまとまった金(日本円で言うと1000万円単位)を預ける。退去のタイミングで、全額帰ってくるという期待、前提がある。

「セ(貸家)を挟んで買う」(チョンセ契約を通じて入居し、金を貯め、その家の売買価格にてあらためて家を買い取ること。)

「逆チョンセ」(持ち家の所有権を手放し、他人に権利を売り渡し、本人は元々自分の所有だった家に、入居者として住み続ける)みたいなハイコンテクストな言葉もある。

チョンセは順調にいけば、入居者は追加の家賃は発生しないので、貯金に励める。家主も、まとまった現金を元に資産運用ができる。

まとまった金があれば、だ。

仁川のような街でも、1000万円以上はザラだったし、

ソウルならチョンセといえども1億円近いことも珍しくない。いや、珍しくなかった。

しかしながら、最近は、ソウルなどではチョンセが滅びつつある。

文化の問題というより、政策的なもので、李在明大統領の不動産政策の一環で、実居住奨励が根底にある。実居住以外の形態を、不動産投機であると規定してみることで、不動産高騰を抑えようとしているのである。

不動産高騰を抑えるのは正しい。

インフレーションというのがあって、ジャジャンミョンの値段も、今では7000ウォンくらいするのが珍しくない。数十年前は3000ウォンとかだっただろう。物価というのは年々上がるものだ。図体が大きい家は、ジャジャンミョンより遥かに値上がり「幅」が大きくなるのは、自然の成り行きだ。

だからこそ、家を売り買いすることで、差額を儲けるメリットが大きい。どうせ売買するなら利益が大きい方がいいに決まっている。

しかし、家というのはそもそも投機の道具になるべきではない。そこに人が住む以上、そして動く金額が大きい以上、多くの人の人生を左右してしまう。

そして家のような大きな金額(数億円)を、数十年もの間、資産の形で埋めておくのは、「死に金」を経済の中で大量に発生させるので良くない。

ましてや、自分が住むわけでないのに借金して家を買い、値上がりを待ち、売り払う、というのは、投機だし、本当に住みたい人にとっては不動産価格が上がるばかりで困る一方だ。

不動産高騰を抑えるのは正しい。

また、上記の理由から、他人の金で不動産投機を行う勢力を抑えるのも正しい。

ここでジレンマが生じるのは、

他人の金での投機を抑えるためにはどうすればいいか、ということ。

そこで出てきたのが「実居住するのが税制的に、経済的合理的であるようにしよう」という政策論。

明快だ。明快なのだが、人々が実居住をすることで、貸し家市場が激減してしまった。

人に貸すと税的に損するようになったので、複数の家持ちの人は、自分で住むようの実居住ようの家を売り払ってしまった。そして自分で住むようになった。いい傾向なのだが、

「貸し手」が市場からいなくなりつつある。

地方から出てきた人、新婚夫婦でマイホームを持ちたい人、そういう人が、持ち家への第一歩を歩み出しにくくなってしまった。

色々と補足は必要だが、僕は今は上記のように情勢を見ている。

不動産は難しい。

株式市場を刺激するのは正しい。

だが不動産で「失点」すると、売国内乱勢力は、ここぞとばかりに民主化勢力を叩く材料にしてくるので、うまく切り抜けて欲しいと切に願うばかりだ。

Published by Atsushi

I am a Japanese blogger in Korea. I write about my life with my Korean wife and random thoughts on business, motivation, entertainment, and so on.

Leave a comment